雨の音が聞こえる

もうずっと、この雨は降り続いていて

冷たい雫が、僕の頬を滑り落ちる

僕の手の中には小さなナイフ
白く光るそれが
すぅっと、何の抵抗もなく
より白い身体に深く吸い込まれる

彼はきっと何が起きたのかも解っていない
解らないまま、ただ僕を見て

そして────眠るように瞳を閉じた

 

「････んせいっ！岩永先生っ！！」

気が付くとシーツをきつく握り締めていた。
上から、大きく見開いた瞳が心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫スか？」
「え・・・？」
生返事に余計心配が募ったのか、汗ばんだ額にそっと手を触れてきた。
「熱はないですね。」
「大丈夫だよ、テル先生。」
作った笑顔は、とてもじゃないけど安心させるにはほど遠いもので。
「けど････酷くうなされてたし。」
どんなに隠しても、まだ少し肩で息をしてるのが分かる。
「ちょっと嫌な夢、見ただけだよ。」
「どんな？」

言えるはずもない悪夢───この手で彼を･･････

「････忘れちゃった。」

 

冷たい雨

サイレンの音

回転する赤色灯が鮮血のような赤い光を撒き散らす。
消えようとする生命と常に隣り合わせの戦場。その緊張感が僕を現実に繋ぎ止めてくれる。
充足と後悔、安堵と焦燥の波に繰り返し晒されながら、そのどれにも呑まれる暇さえない。まして悪夢が入り込む余地なんか。

だからこそ、ぽっかりと空いた空白の時間が怖くなる。
空白は闇と同じ。
何もない其処で、目に見えない何かに押し潰されそうな気分になる。
多分彼もそうなんだと思う。
それは特に、掬った手の指の隙間から零れ落ちる砂のように、喪われていくものに直面した後。

他人を惹きつけて止まない輝きが似合う黒曜石の瞳が、その時だけ水底に沈む月のように儚く揺らぐ。
縋るように僕を求めてくれる彼に応えることで、僕もまた救われていた。
彼に必要とされていることが嬉しくて。
彼のために何か出来る自分が嬉しくて。
僕が彼にとって特別な存在になれたんじゃないかと。そんな夢を見ていた。

だけどやっぱりそれは夢。
彼は誰にも見せない弱い自分を僕に見せてくれるけど、それは一番大切なあの人にそれを決して見せないため。
重ねた肌の熱に酔いながら、彼の瞳はいつの間にか僕を通り抜けて、あの人を追う。

「どうした？」
「･･･え？」
「ぼんやりしてたぞ。大丈夫か。」
カルテを繰りながら素っ気ない言葉で心配してくれる彼はいつもぶっきらぼうに優しい。
だから僕もいつものように微笑い返す。
「何でもありませんよ。」

そして彼が眠れない夜、またいつものように僕はただ黙って彼を抱く。
夢の中で彼が求め呟くあの人の名前に耳を塞いで。
雨の音を聞きながら、ただ夜明けを待つ。
僕に出来るのはそれぐらい。

朝が来れば、彼は光の中に帰っていく。
眩しい光の中で、彼はあの人の傍らにいる。
誰よりも強い意志に溢れた瞳が、焦がれた人を追う。共に頂を目指す為に。

 

 

今日も雨の音が聞こえる

いつまでも･･････いつまでも止まない雨

冷たいけれど僕には優しい
だって、濡れている間は僕の涙を隠してくれるから