石畳の馬車道通りの両側に垢抜けた小商いの店が並んでいる。
倉を隣接させた比較的大きな店も点在するが、その倉も白壁の漆喰造りではなく煉瓦色の四角い洋風建築が目立つ。
だがその奥の路地を覗うと、見慣れた瓦屋根の日本家屋が垣間見えた。
ハイカラで賑わう商店街と隣り合う昔ながらの屋敷町風景。
これも維新後四半世紀という時代の流れが作り出した町並みの一つであろう。

「あそこよ、私の事務所は」
胡美が指し示す先にくすんだ赤い煉瓦造りの建物があった。
小さいながらも二階建てのそれは元は倉庫として造られたものらしく、四角張って頑丈そうな外観を持つ。
「あげん立派なとこに？」
「もちろんアレ全部じゃないわよ。私が借りてるのはあの二階」
口をぽかんと開けて赤煉瓦の壁を見上げる韮崎に、胡美は笑いながら答えた。
道路に面した一階正面は広い間口が大きく開け放たれ、切り花の入った桶や植木鉢が並んでいた。看板こそ出ていないが、どうやら花屋らしい。
店先に置かれた椅子に男が一人腰掛けていた。袴姿の足を組んで膝に載せた本を読んでいる。
その姿を見付けた途端、胡美が親しげに駆け寄った。
「岩永せんせ〜い」
「やぁ、お帰り」
顔を上げた男は胡美を見て手にしていた本を閉じた。
「もう先生ったら、また店番引き受けちゃったの？」
「ちょっとの間だよ････お客様かな」
まるで目下の子を窘めるような胡美の口調に苦笑した男は、胡美の後ろに付いてきた韮崎に気付き立ち上がった。
「ええまぁ･･･ちょっと訳あって暫くウチに泊めることにしたの。韮崎洋平クン。――この人は岩永先生よ」
岩永と紹介された男は、見るからに人の良さそうな穏やかな笑顔で握手を求めてきた。
「そう、初めまして、韮崎くん」
「ぁ･･･はぁ･･･どぉも･･」
慣れない握手をぎこちなく交わした韮崎は、背を丸めて胡美に尋ねた。
「先生ゆーたら、こん人も探偵さんやろか？」
「あぁ違うわ、この人は小説家の先生よ」
「へぇ〜、本ば書きやっと？偉いっちゃね〜」
韮崎がたちまち尊敬の眼差しに変わると、岩永は恥ずかしそうに首を掻いて
「偉くなんかないよ。そんなに売れてないしね。･･･あ、僕はすぐそこの――」
通りから奥へ入る目の前の路地を指差した。
「この裏の家を借りてるんだけど。その大家さんがこの花屋もやっててね。それで時々店番を頼まれたりするんだ」

「じゃあ、とにかく上に――」
胡美が言いかけたちょうどその時、突然、通りの一角から男の大声が上がった。
「号外っ号外っ！！昨夜またまた『眠りの魔術師』が現れたよーッ！」
通りを行く人々が皆足を止め、その多くが声の方へ引き寄せられていく。
集めた人垣の中心で、男は益々声を張り上げた。
「今回現れたのは前田男爵邸。さて、その顛末は？！詳しくは読んで読んでっ！」
口上と同時に、ぱぁっと号外がばらまかれた。
途端に群がった人々が我先にと手を伸ばして取り合う。
風に乗った一枚がひらひらと胡美達の方に飛んできた。
あ、と反射的に伸ばした胡美の指先をするりと擦り抜けて行ってしまうかに思えた直後、俊敏な動きで半身を返した韮崎が紙を捉えた。
「はい、先生」
「あ、ありがと」
停車場での一件もそうだが、この男、少なくとも体捌きには凡人らしからぬ所がある。
そんな印象を抱きながら、胡美は受け取った号外に目を落とした。
三色刷りの紙面に『またもや怪人現る？！』の大文字が踊る。その下には黒いシルクハットに黒マント姿という、いかにも怪しげだがどこか滑稽な黒ずくめの男の挿絵。
「何やろか、この『眠りの魔術師』って？」
脇から覗き込んだ韮崎が首を傾げた。
「数年前から東京を騒がしてる謎の怪人よ」
「怪人？」
出没するのは華族や大金持ちの大邸宅ばかり。そんな家には大金やお宝がそこら中にあるというのに、何か盗む訳ではない。ただ深夜に現れ風のように去っていく。
そして不思議な共通点がもう一つ。怪人が現れる家には必ず不眠を患う家人が居て、にもかかわらず事件の当夜は、その家人のみならず家中の者が皆いつの間にか寝入ってしまっているのだという。
何やら妖しげな術を使ったのではと噂ばかりが先行する一方で、実際には何一つ手がかりは無く、故に、不法侵入で怪人を追う警察も捜査の勝手が違って、逮捕どころか尻尾を掴む事すら出来ていない。
「よう判らんのやけど･･･」
「ホント、訳の解らないヤツでしょ」
「東京っちゅうトコはそげん夜眠れん人が多かとですか？」
「はぁ？」
どうやら韮崎にすれば、夜な夜な出没する謎の怪人よりも、夜眠れない人間がそんなに沢山いるのかという事の方が不可解で興味を引いたようだ。
事件になぞ縁のない平和な田舎育ちには、“謎の怪人”なんてあまりに現実味が無くてピンと来ないのだろうか。
「まぁいいわ。取り敢えず私達にとって当面の問題は鏡探しだし」
「鏡？」
胡美の呟きを聞き留めた岩永が問うと、胡美は笑って唇に指を当てた。
「ううん、これはまだ内緒」
業務上の秘密、と言うほど大袈裟なつもりはないが、曲がりなりにも引き受けた仕事だ。
他人に話していいか判断が付く程度の情報もないうちは、親しい人間にであっても話さないのが無難。プロの基本である。
岩永もそれは察したようで、「そう」とだけ言ってそれ以上は聞かなかった。

「とにかく――」
号外を畳んでポケットに入れると、胡美は仕切り直すように手を叩いた。
「事務所(うえ)に上がって落ち着きましょ。あ、そうだ。お布団も借りなくっちゃ」
「え？いや、布団やらわざわざいらんですけん」
「何言ってるの、布団無しで何処に寝る気？うちに畳の部屋なんて無いんだから」
「それならうちのを貸そうか。後で取りにおいでよ」
「うわぁ、ありがと、岩永先生」
遠慮しきりの韮崎を置いてけぼりにして、話はとんとんと進んでいく。
「よかとですか？そげんして貰(もろ)うて」
「もちろん。こんな時はお互い様だよ」
「そうよ、こんな事で遠慮してちゃ私の助手は務まらないわよっ」
ばしん、と勢いよく背中を叩く胡美の横で、岩永はにこにこと笑っている。
韮崎は二人の顔を見比べて、戸惑い気味に頭を下げた。



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