取引成立


 

仕事柄、骨董街にも何度か足を運んだことがあったため、その店を見付けるのは簡単だった。
表通りからは奥まった路地にあったが、見たところ胡乱な雰囲気はない。
ショーウインドーに並ぶのは煤けた仏像や緑青の浮いた古銭など。
どうやら取り扱っているのは所謂美術品とは違う、古さを売りにした歴史通向けの店のようだ。

軋む扉を開け店内に入ると、特有の埃臭い空気が出迎えた。
「いらっしゃい。」
カウンターに座った店主らしき初老の男がちらりと顔を上げて無愛想に言った。
だがそれきり奥から出てくるでもなく、手にした素焼きらしき古物に視線を戻し矯めつ眇めつしている。
胡美が促す仕草をすると、韮崎は頷いて店主に歩み寄った。
「あの、僕探しちょる物があるとです。」
そう言って、床に置いた行李鞄を開け一枚の紙を取り出した。
「この鏡。此処にあるて聞いたっちゃけど。」
差し出された紙を見て、店主の表情が僅かに動いた。
胡美も近づいてその紙を見て思わず呟いた。
「これが鏡?」
そこに墨で描かれた画は直径一尺ほどのほぼ真円。その全面は何やら細密で不可解な図柄で埋め尽くされており、相応の厚みもありそうだ。
これが実物大だとしたら、胡美には“デカすぎて使い勝手の悪い文鎮”にしか見えない。
「はっは、こいつは古代の鏡じゃよ、嬢ちゃん。」
目を細めながら持っていた素焼きを脇に置いた店主は、紙を受け取りもう一度じっくりと見て確信したようだ。
「こいつは三角縁葡萄唐草文神獣鏡。そう、確かにこの店にあったが・・・・もう無いよ。」
「無いて、どげんしたとですか?」
「売れちまったからね。」
「売ったって、だ・誰に?!」
「さてね、そこまでは。」
「そんな・・・・」
落胆で二の句が継げない韮崎に代わって、胡美が前に出た。
「ねぇ、よければ少し詳しく話してくれません?」
「あぁいいよ。」


売りに来たのは見たことのない若い男だった。
突然やって来て、これを買ってくれと言う。
一見の素人が売りに来るのはそう珍しいことではないが、こちらも商売。用心して返事を渋っていると、次第に切羽詰まった様子になり終いには「タダでもいいから引き取ってくれ」と言い出す始末。
押し問答の末、断る店主に鏡を無理矢理押し付けて、男は行ってしまった。


「一応古物商仲間にも当たってみたが古代鏡の盗難なんざ噂も聞かなんだし。モノは良かったんで取り敢えずウインドーに飾っておいたら――」
「売れちゃった・・・?」
「なにしろ甥っ子に店番頼んでた時でなぁ。あれは売りモンじゃねぇって言っとかなかったもんだから。」
「買っていった人間について何か言ってなかった?その甥っ子さん。」
「そうさなぁ・・・ぱりっとした身なりの良い男だったと。実際随分と高く買ってったしな。」
店主としても来歴の判らぬ古物を売ってしまったのは些か不本意だったのだろう。話してくれた内容に嘘や包み隠しは無さそうだ。
「ありがとう、それじゃあついでにお願い。」
胡美は上着の内ポケットから紙入れを取り出し、名刺を一枚カウンターに置いた。
「何か他に思い出したり、判った事があったら此処に知らせてくれないかしら?」
名刺を手に取った店主が目を丸くして胡美の顔を見上げた。
「ほぉ、近頃噂の女探偵・水島胡美たぁ嬢ちゃんだったのかい。」
「あらぁ、噂になんてなってます?」
「そりゃあな。こないだの、ほら・・・あぁそうだ青金石の首飾り!あれ取り戻したのお前さんなんだろ。天翔堂さんが褒めてたよ。」

 
店を出た二人は表通りを電停に向かって歩き出した。
「探偵・・やったとですか、水島さん。」
暫く黙って歩いていた韮崎がやっと口を開いた。
「まぁね。で、これからどうする気?」
あの落胆ぶりを見ると手ぶらで素直に帰るとは思えない。だが鏡探しを続けるにしても、この都会で伝手もないぽっと出の田舎者にそう簡単に出来るものじゃない事は、誰よりも胡美がよく知っている。
「ん・・・なんとか探してみますけん。今日はありがとうございました。」
ぺこりと頭を下げる韮崎に、あぁやっぱり、と胡美は溜息をついた。
「キミ一人で探せるの?手、貸してあげてもいいわよ。」
「けど・・・僕、そげんお金持っちょらんし、探偵を頼むやら出来んけん。」
韮崎は少し申し訳なさそうに笑っている。
――そんな顔、似合わないわよ
そう叱咤したくなったのを堪えて、胡美は代わりにたった今思い付いた提案を口にした。
「じゃあこうしない?うちの事務所に寝泊まりしなさいよ。それで助手として働いて貰うの。その代わり鏡探しを手伝ってあげる。」
「そげんなこつして貰うてよかとですか?」
「私は助手が出来る。キミは宿代が浮いてその上情報が手に入り易くなる。お互いに悪くないと思うけど。」
我ながら名案、とばかりに胸を張る得意げな胡美を前にしばし逡巡した韮崎は、思い定めた表情の後、にっこり笑って姿勢を正した。
「ほしたらお世話になりますけん、よろしくお願いします、水島先生。」
「・・・先生?」
「だって探偵の助手っちゅうのは“先生”って呼ぶっちゃなかとですか。」
「いいわよ別に、先生なんて付けなくても。」
「いや、やっぱ良くなかですたい。先生は先生って付けな。」
妙なところで意外な強情さを発揮する韮崎が可笑しくて苦笑した胡美は、諦め顔で肩を竦めた。
「まぁ・・・・好きにしていいわ。」
「はいっ、水島先生。」
「じゃ、ひとまず事務所に戻るわよ。」
ひらりと身を翻し走り出した胡美が丁度やってきた路面電車に飛び乗ると、韮崎がすぐ後に続いた。