The battle wages
on
某月某日、ヴァルハラ内・某室。 此処は、ここ数日小さな戦場と化していた。
「輝先生ったらっ!よくこんな和訳で参考文献になんか出来たわね!!」 「輝先生!この章、脚注番号が全部抜けてるよっ。」 「輝センセ〜。このスライド、こっちと逆やなかと?」
「あーもう!そんな一遍に言わないでよ〜!」(泣) 堪らず情けない声を出した輝に、三人の視線が集中する。 「「「
誰の為にやってると思ってるのっ?! 」」」
「・・・・・・はい。スンマセン・・・・」
同じ頃、別の某室。
静かな室内に聞こえるのは、キーを叩く音。紙を繰る音。そしてペンを走らせる音。 時折、 「北見先生、ここは?」 「あぁ、この資料を見てくれ。」 交わされる会話の間も、キーボードの上で踊る指が休む事は殆どない。
そのリズミカルな音を密かに愉しみながら、四宮は滅多にない至福の時を味わっていた。 なにしろ、憧れて止まないかの人の傍らで、直接彼の仕事を手伝える貴重なチャンスなのだから。 流麗に滑る白い指、僅かに下向き加減の視線に従う長い睫毛、そこに時々さらりとかかる前髪。鬱陶しげに掻き上げる表情を横目で盗み見ては、緩みそうになる口元を気付かれないように引き締める。 唯一の不満は─── 「おい、岩永。そっちのチェック出来たか?」 「えぇ、これで終わりですよ。次は?」 この部屋に二人きり、でない事なのだが。 物静かで目立つところのない先輩医師の存在は、この際居ないも同然と見なす事にしよう。 そう思った矢先。
「輝の方はどうなってる?知ってるか、四宮?」 「さぁ、2,3日前から本格的に焦ってるようでしたけど。」 なんであんな奴のことなんか・・・・・・そりゃ指導医だし、一緒に参加する以上みっともない発表なんかされちゃ困るから、気になっても当然だけど。 「あ、今韮クン達が手伝ってるみたいですよ。青木先生まで巻き込んじゃって。」 向かいの机からおっとりした笑顔が答える。 そうそう、皆して手伝ってるんだから北見先生は心配要りませんよ。 「そうか・・・・ふ・・む・・・」 指が動きを止め、刻んでいたリズムが消えた。
「そんなに心配なら、ちょっと見てきましょうか?」 考え込んだ顔を窺うように、岩永がまた声を掛けた。 四宮にとっては、いつもならおよそ眼中にない岩永の笑顔の好感度が、今日ほどアップしたことはないだろう。 そうだ、ついでにそのまま輝先生を手伝ってあげればどうですか。 口を開こうとした次の瞬間、北見の言葉が四宮を奈落の底に突き落とした。 「ん・・・いや。四宮、お前手伝いに行ってくれないか。」 「えっ?僕っ?!」 「あぁ。俺の方はもう良いから、あいつの準備を頼む。」 「え、あの・・・」 なんでこんな展開になるんだ〜?! 戸惑いつつ、一縷の望みを託してちらちらと岩永の顔を見る。 「あ・あの、僕が行きましょうか?」 「ダメだ。まだお前のチェックがいる部分が残ってる。」 気を遣った岩永の助け船は、逆にトドメを刺す結果となって。 「四宮、元々執刀はお前だし、お前が見てやるのが一番良いだろう。」 「は・・・・はい。」 理屈を諭されるまでもなく、頼まれれば拒める筈はなかった。
肩を落として部屋を出た後ろ姿を見送って、岩永が苦笑した。 「僕が行っても良かったんじゃ・・・」 また動き始めた指が、何事も無かったかのように乾いたリズムを刻む。 「ダメだ。お前が行くと甘えが出るに決まってる。どうせ今頃付け焼き刃で泣き言言ってるだろうから、四宮あたりにビシビシ尻を叩かせる位がちょうどいいんだよ。」
そして再び、賑やかな方の某室。
「いつまで泣き言言ってるのさ!」 「ほらっ、ここ!説明が足りないよっ!もっと具体的に詳細に入れとかないとっ!!」 「こういう所、必ず後で質問が出るんだからっ!」 「ひえ〜〜〜っっ」 先任者の三人が口を差し挟む暇も無くなって見守る横で、機関銃のような四宮の叱咤が飛んでいた。 北見に頼まれた以上は、中途半端な出来をそのままにして戻るなど、自分のプライドが許さない。ここは、輝の発表準備を完璧に仕上げる以外、四宮に採るべき道はないのだ。
「なんかさぁ、お前手伝いに来たんだか、怒りに来たんだか分かんないんだけど・・・」 矢継ぎ早の突っ込みに涙目で音をあげた輝を冷ややかに見下ろした四宮が、きっぱり言い切る。 「僕の考えてる事は唯一つ、北見先生が恥をかかない為に今何をすべきか、だけだよ。」 「俺の学会発表だっつーのぉっ!!」 「他に何があるっていうのさ。」
にっこり微笑んだ口元と決して笑っていない目付きが、最後に付け加えた。 「それ出来上がったら、質疑応答のシミュレーションまで付けてあげるから覚悟しなよ。」
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