───男の人･･･だよな。
自分より高い長身。体格だって細い僕よりはよほどしっかりしてるし。
よくよく考えれば女性と見間違える要素はほとんど無いんだけど。
なのに、まず最初に受ける印象はハンサムではなく、
････綺麗な人だな。

総合病院『安田記念病院』。
設立からまだ３年足らずのこの病院に、僕は常勤の麻酔科医として採用された。
ユニークな病院だと噂は聞いていた。
かなり若手中心というばかりでなく、年功序列も学閥も問わない実力本位の人事、それに患者本意の運営体制。
患者の立場からすればそんな事は当然かも知れないが、この世界では残念ながらまだ異色な存在だ。
それは病院の創立者、院長　安田潤司に拠るところらしい。
医学界の秩序に服わない異端児だとか、患者のための医療のあり方を追求する革命児だとか、いろんな言い方がされているが、確実なのは彼が既に幾つかの伝説さえ作ったカリスマ的名外科医であるという事。
そして彼自身も相当ユニークな人間だという専らの噂だった。

初日、院長室へ挨拶に行った僕は、噂はアテにならないと思った。
どうやら噂以上にユニークそうな人だ。
色柄の開襟シャツにスキンヘッド、くわえ煙草で僕を迎えた彼は、悪いけど白衣を着てなければやくざと間違えそうな外見。
ところが、話してみて今度はその外見とのギャップに驚かされた。
やや乱暴な言葉遣いながら、親しげに話す彼は存外人懐っこい笑顔をしていて。
新しい職場に対する僕の不安を少しだけ和らげてくれた。
やがて院長室を辞して医局へ行こうとする僕を留めて
「まぁ、待てや。今、外科部長が来るから。」
妙に悪戯っぽい笑みを浮かべた気がした。
──そして、彼と出会った。

ノックの後に入ってきた彼、外科部長　北見柊一もまた、この病院のユニークな噂を構成する一人だった。
Ｔ大医学部を首席で卒業。研修医時代から天才ぶりを認められて、史上最年少助教授の座は確実といわれて。しかも、その栄誉をあっさり放棄して新病院の設立に参加。
でも、今目の前にいる彼はとてもそんな筋金入りのエリートには見えない。
僕に目をやって、ソファーに座る院長の脇に立った姿は、医師らしからぬ長髪さえ違和感なく似合って。
意志の強そうな眼差しは少し威圧感を感じさせる。だけど、紹介されて「よろしく」と手を伸ばした彼は柔らかい表情を向けてくれた。
「これから手術でさんざん組むことになるだろうから、仲良くしとけや。」
僕を医局に案内するよう彼に指示した安田院長は、部屋を出る僕の背中に怒鳴った。
「新参者だからって遠慮すんなよ。どーせ出来たての病院なんだ。みぃんな新入りみたいなもんよ。」
そんなこと言われてもなぁ。
安田院長を慕って集まったとされるこの病院の医師達は、今僕の隣を歩いている外科部長を筆頭に名医揃いといわれていて。その中で自分がどこまでやっていけるのか、不安はまだ若干僕の中に残っていた。
「驚いたろ、うちの院長には。」
「え？あ、はい。」
僕の正直すぎる返事に、彼は楽しそうに笑った。
「ま、すぐに慣れるさ。」
僕は正直ついでに思い切って訊いてみた。
「あの･･･あなたは不安に思ってないですか？麻酔科に常勤で配属されたのが、僕みたいな若い医師で。標榜医になってまだ間がないし、大した実績も無いのに。」
彼は意外そうな顔で僕を見た。
「若いって･･･年のことを言うなら俺だってそう変わらないだろう。どのみち、ここでは年齢は関係ない。それに･･･」
彼の目が厳しいものになる。
「院長が決めた事だ。俺は不安なんか無い。自信が無いなら辞めるのか。」
その言葉も表情も決然としていて。
「･･･すみません。」
僕は自分の気弱さを見せ付けられた気がして俯いた。
彼はふっと小さく息を吐いて、額に掛かった長い前髪を掻き上げた。
「実績が無いと思うなら、ここで創れよ。」
「え･･･？」
「言っただろ。安田潤司が君を選んで採ったんだ。自信を持っていい。俺は彼の選択を信じている。」
「･･････」
「どうした？」
「いえ･･･本当に安田院長を尊敬してるんですね。」
僕の言葉はかなりストレートに過ぎたようで、一瞬それまでと打って変わった表情を見せた。
少し戸惑ったような、照れたような。
顔を逸らすように廊下の向こうへ目をやって
「行こう。皆待ってる筈だ。」
ぶっきらぼうに言った。

                              ＊　＊　＊　＊　＊

「これで進めない方がいいって？」
「今の状態では患者さんの負担が大きすぎます。」
「･･････。」
「こっちの方がもっと負担を少なくできる筈です。」
彼は黙って僕の示した数字をじっと見ている。
「そりゃ、この方法だと北見先生には少し大変かも知れませんけど。」
「判った。こっちでやろう。」
椅子の背に体を預け、無造作に前髪を掻き上げると、
「一息入れよう。」
少し温んだコーヒーカップを手に取った。

カンファレンスルームの一角。
手術の進め方について確認作業をしている僕は、当然まだここ安田病院にいて。
僕の隣には執刀医を務める予定の彼がいる。
手の中のコーヒーを揺らしながら、まだ机の上の資料を眺めている。
「すみません、我が儘を言って。」
「我が儘じゃない。」
彼は書類に目をやったまま、事も無げに言った。
「患者さんにとって最適な方法を考えるのはお前の仕事だろう。」
不意に僕の顔を見て、くすりと笑う。
「何です？」
「すぐ謝る癖、直りそうにないな。」
「え･･･」
「最初に会った時、ちょっと心配だったんだぞ。こいつ、こんなんで本当にやっていけるのかなって。」
「ひどいなぁ。あんなにきっぱり‘不安なんか無い’って言い切ったくせに。それを言うなら僕が一番不安だったんですから。」
お互いの顔を見合わせて、苦笑した。
「結局、一番正しかったのは院長だったって事ですか。」
その言葉に彼は軽く目を逸らして、あの時と同じような表情をした。
少し照れたような。･･･ちょっと嬉しそうな。

                              ＊　＊　＊　＊　＊

何か地味で大人しそうな奴だな。
「あれが新入りの麻酔科医ですかい？」
医局に顔を出した院長を捕まえて、俺は訊いた。
「ん？あぁ。そうだよ、森ちゃん。」
俺の顔を見て、いつもの人を食ったような笑いを見せる。
「ふーん。」
漸く軌道に乗り始めたばかりの病院はまだまだ人手が足りない状態で、新しい医師は大歓迎だ。院長の笑い方はちと気になるが。
「やっぱし総合病院の麻酔科に常勤が居ねぇとかっこ付かねぇやな。やっと、これってヤツを見つけてよ。苦労したんだぜぇ。」
ほら、その笑い･･･。
そういやぁ、以前冗談交じりに「森ちゃんの好みのタイプも揃えてやっから」なんて言ってたけど、こいつの事じゃないよな。俺が面食いなのは知ってる筈だし。
「良い麻酔科医のサポートがあると外科医の負担がぐっと違ってくるからな。なにしろ状態管理をそっちに任せて執刀自体に集中出来るってのは執刀医としちゃ助かるもんよ。」
はいはい。なんだかんだ言っても結局は北見の為って事だよな。
「院長･･･。」
「ん？」
「医局は禁煙ですぜ。」
煙草を取り出しかけた手が止まる。
「ぁんだよ。小姑みてぇだぞ。」
「他に誰が注意してくれるんです、あなたに？」
ちょっと口をとがらして渋々仕舞いなおす。
「ふん。じゃあその調子であっちも適当に面倒見てやってよ。」
「いいですよ･･･ま、俺のタイプじゃないけど･･･。」
「あれ、そぉおー？」
俺の肩をぽんぽんと叩いて、
「まぁ、いいや。んじゃ、よろしくねー。」
去り際またあの笑いを俺に向けた。
何考えてんだ、あの人は。
そんなに心配しなくても、あなたのお姫様に手ぇ出しゃしませんよ。
しかし、まぁ北見と組むってのは羨ましいよな。
ははぁ、北見に見蕩れてやがる。やっぱりなぁ。
お、赤くなった。ふーん、結構可愛いとこあるじゃねぇか。性格は良さそうだな。
俺のタイプじゃないけど･･･。ま、悪くないかも。