フェアウェイ



涼やかな風が木々を揺らした。
休憩室にもエアコンはもう必要なく、窓を開けていると爽やかな空気が通り抜ける。

岩永は手元をよぎった影にページをめくる手を止めて、顔を上げた。
「何、読んでんですか?」
相変わらずの人懐っこい童顔が覗き込んでくる。
「輝先生はあんまり興味ないと思うけど。」
そう言いながら、岩永は読んでいたゴルフ雑誌の表紙を輝に見せた。
「あぁ、そっか。」と頷く輝だが、
「でも・・・岩永先生とゴルフって未だにどうもイメージ結びつかないなぁ。」
小首を傾げて、再度ページを覗き込む。
「そう?どうして?」
「やっぱしアウトドアが似合うって感じじゃないもんで。」
「そうかなぁ。これでも、学生時代は結構スポーツやってたんだよ。スキーもやったし、泳ぐのも好きだったし。」
「へ〜ぇ。」意外そうな顔をされて、思わず肩を落とした。
僕ってそんなにひ弱そうに見えるかなぁ。そりゃ、輝先生に比べたら腕力は無いけど・・・。
「ゴルフだって、結構歩くからいい運動になるんだよ。」
今頃だと季節もいいしね、と窓の外に目を向け、空を見上げる。
だが、ふーん、と頷く輝はまだ今ひとつ納得していない様子。
「でも、こんなに忙しいんじゃゴルフ場で楽しむ暇ないでしょ。」
「まぁね。」岩永は小さく首を竦めた。
確かに。ヴァルハラの名が知られるようになるにつれ、日常の仕事に忙殺されて、普通に休暇を取ることもままならない。いきおいグリーンに出る機会は激減して、最近じゃごくたまに打ちっ放しで体を動かすのがせいぜいだ。
「そういや、うちの先生方でゴルフやってる人、少なくないですか。」
医者とゴルフといえば割とよくある取り合わせだと思うのだが。救急指定で忙しい職場とはいえ、もっとたくさんいても不思議ではない筈なのに、ゴルフ談義をしている場面も滅多に見かけない。
「コンペとかって、やったことないんですか?」
輝の素朴な質問に、岩永は言葉を濁して苦笑した。
「そう言えば・・・・・・かなり前に一度だけあったなぁ。」


それは安田記念病院がまだ、ヴァルハラと呼ばれ始める以前のこと。
器械を納入した医療機器メーカーの招待に、珍しく応じた安田院長がヴァルハラの主だった医師の何人かを連れて参加したのだった。
意外にもこれまで殆んど経験が無いという安田にしてみれば、付き合いがてら持ち前の好奇心もあったのかもしれないが・・・・・・。

結果は端的に言えば、惨たんたるものであった。
長時間のオペに対応する超人的な体力と集中力は、彼の場合どうやら、ゴルフには向けられなかったようだ。
「や〜めたっ。」
動かないボールに当たらないクラブを振り回すのにすぐ飽きてしまって、途中からカートに引っ込んで昼寝を決め込んでしまった。
「へぇ〜。んじゃ、北見・・・先生は?」興味津々の輝が身を乗り出す。
「北見先生はね・・・」
安田に引っ張っられて嫌々の参加なのは一目瞭然。
運動神経は悪くない筈なのに、やはり未経験者ゆえか。というよりは全く興味がない、むしろ嫌いな部類のスポーツなのか。日頃の仏頂面に輪をかけた状態で、最後までホールアウトに付き合ったのが不思議なくらいだ。
もっとも上がった途端に、スコアの提出もせずさっさとクラブハウスに戻ってしまったけど。
「あははっ。分かる分かる♪」輝は愉快そうに腹を抱えた。
不機嫌そうにクラブを担いで芝生を歩いてる姿が目に浮かぶようだ。
森も興味がない事は早々に放棄し、若いキャディ嬢を目敏く見つけて話し掛ける始末。当然スコアなんか数えてやしない。
保田はしごく真面目に取り組むのだが、振り回したクラブが芝生に大穴を開けるばかりで、肝心のボールは前に飛ばない。その後を同じ組の片岡が付いて歩いて、剥がれた芝生を律儀に直してまわる羽目になった。
結局、まともにホールをまわり終え、まともにスコアを計算できたのは、岩永の他、片岡、三上ら片手で足りる人数だった。
「もう絶ーーっ対、ゴルフなんかやんねぇぞぉ!!」
すっかりヘソを曲げた安田に遠慮してか、以後そのメーカーはおろか、薬剤メーカーにもその他の出入り業者にも、ヴァルハラに接待ゴルフを持ちかける者、ゴルフの話をする者はぱったりいなくなった。


「ま、接待ゴルフなんか興味ないから良いんだけど・・・・・・」
ヴァルハラに同好の士は殆どいない事が判明してしまって、岩永としてはますますグリーンが遠のいた次第だ。
「なぁんだ。じゃあ、今度俺が付き合いましょうか?」
「えっ、輝先生が?ゴルフなんてやったことあるの?」
「いやぁ、ないスけど。」
目を丸くする岩永に、輝はあくまでお気楽な笑顔で答える。
「なぁに、ちょっと練習すれば大丈夫!これでも俺、運動神経いいんですから。」
ばん、と景気よく背中を叩かれて愛想笑いを返した岩永は、意気揚々と部屋を出ていく輝の後ろ姿に小さく溜息をついた。
───そりゃあ、確かに当たれば相当飛びそうだけど・・・。
この場合、まず芝生の心配をするべきか、クラブの心配をするべきか・・・・・・いや、怪我人が出ずに済めば良しとすべきなんだろうか。

岩永が気兼ねなくゴルフを楽しめる日は、どうやら限りなく遠い。
 

体育の日記念。(笑)
岩永先生の「趣味・ゴルフ」に未だにそこはかとない違和感を持ってるのは
私だけでしょうか・・・そーですか。


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