ばたばたと足音が遠ざかる。 医局を飛び出して院長室へ駆けて行く輝を見送って、森は大きく溜息をついた。 退院。
彼女の変調の原因が何であるにせよ、担当医にも匙を投げられては、両親として当然の選択だろう。 だがそれは、医師にとっては敗北に他ならない。患者として訪れた人間を治すどころか原因も掴めないまま手放さなくてはならないなんて。 ──ま、あの二人ならこのまま放り出すなんてこたぁ、金輪際無いだろうが。 今となってはそれだけが唯一の希望だ。 今頃院長室でぽんぽん交わされているであろう遣り取りを想像して、僅かに口端を上げた。 「本当にもう決まりなんですか、退院?」 納得のいかない表情の岩永が近寄ってきて訊いた。他の医師達はもう席に戻って自分の仕事を再開するなか、彼だけはまだ心配そうに輝が走り去った廊下を見ている。 「ん?あぁ、今の状況じゃ仕方ないだろ。」 そう言いながら、森は目で促して岩永を廊下へ連れ出した。 「でも、それじゃ あの子は・・・」 「輝先生にしろ、北見先生にしろ、このまま諦めるとは思えんが。退院となると出来る検査や経過観察は限られる。ますます難しくなるだろうな。」 岩永は視線を落とした。こんな時いつも自分の無力さがやり切れなくなる。 「お前さんはどう思う?」 「僕は・・・」 彼女の不安に怯えた目を思い出す。心を閉ざしていながら、でも本当は誰かに助けを求めている、そんな目だった。 「少なくともあの子の発作は本物だと思います。実際に何度も救急車で運ばれてる。そういつも救急隊員を誤魔化せるものじゃありませんし。でも、原因となると・・・・・・」 開いた窓を背にして肘を付いた森は、黙って聞いていた。 「あなたはどう思ってるんですか?」 「そうだな。」 岩永の問いに森は少し不機嫌そうに頭を掻いた。 「詐病は論外としても、心因性の可能性が無いとは言えない。」 でも、と言いかけた岩永を制して、言葉を続けた。 「だが、それをいうなら身体的疾患の可能性も否定できない。どっちにしろ決め手になる証拠を俺達はまだ何一つ見つけちゃいないんだ。」 やり切れなさを感じるのは、森も同じだ。 輝に心を開いて以降の協力的な態度を見れば、登校拒否のような心的ストレスに因るとは考え難い。が、具体的な原因を突き止めなければ、結局何の解決にもならない。 「まぁ、強いて言えば・・・」 表情を曇らせたまま目を伏せる岩永の頭に手を置いた。 「俺はいつだって可愛い女の子の味方さ。」 顔を上げた岩永に向かって、にやりと笑って片目を瞑る。 「医者ってぇのは患者さんに信用してもらわんと話にならん。だったら医者もまず患者さんを信じなくちゃな。」 ふっと表情を緩ませた岩永の顔を覗き込んで、付け加えた。 「心配すんな。大丈夫。輝先生はその辺に関してだけは誰にも負けやしねぇから。」 「そうですね。」 信じてあげる、患者さんを。そして頑張り続ける仲間を。 それがどれだけの力を生むか、僕達は知っている。技術のみでは生まれ得ない力を。 笑みの戻った岩永に満足したように、森はその背中をぽんと叩いた。 |
第66話・純香ちゃんの頃の裏話、捏造。
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