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Ｓｏｍｅｄａｙ
「あれ、明かり点いてる。」
誰かいるのかな？話し声とかはしてないようだけど・・・。
取り敢えず、普段よりは静かにカンファレンスルームのドアを開けてみた。
「失礼しまぁす。・・・・・・え？」
その朝早速気付いたドジに、輝は焦っていた。
午後の手術で執刀予定の患者の資料が見つからないのだ。
岩永に作ってもらったデータ。昨日の打ち合わせの時は確かにあったのに。
どこを探しても見当たらない。
もう一度確認しようとしていたものが無いとなると、頭に入れたはずのデータがうろ覚えなものに思えて一気に自信が無くなる。
「どーしよぉー。どこいったんだぁー！」
机の引き出しをひっくり返しても、ナースステーションを這いつくばってみても、無いものは無い。
見兼ねて一緒に探してくれた周囲のスタッフも諦めて溜息をつくしかない。
「また、岩永先生にもらえば。」
上の棚を見てくれていた片岡が自分の席に戻ってきて言った。
「はぁ。」
確かに岩永に言えば、またすぐに新しい資料をくれるだろうが。
せっかく作ってもらった資料を無くしましたと言うのは、ちょっとバツが悪い。
それに、彼はまだ午前中の予定手術から戻っていない。
第一、こんなことをあの指導医に知れたらどんないやみを言われるか。
すでに皆を巻き込んで大騒ぎしている自覚がないまま、あれこれ思案している輝に、また片岡が言った。
「カンファレンスルームは見た？昨日あそこで打ち合わせたんでしょ。」
「それだぁ！！」
叫ぶと同時に、輝はもう飛び出していた。
カンファレンスルームにいたのは、あのいやみな自分の指導医。
しかも。
（え？・・・ね、寝てる？）
腕組みをして目を瞑って・・・・・・どう見ても寝てるんだよなぁ。
珍しいものを見てしまった輝は、少しの間入口で戸惑った。
このまま戻るか、でも資料を探さないと。
それに。
──こんな姿、滅多に見られるモンじゃないしな。
結局、好奇心に負けてそぉっと部屋へ踏み込んだ。
静かな寝息。長い睫が伏せられたままぴくりとも動かない。
（よく寝てらぁ。）
無防備な寝顔を前に、意味もなくちょっとした優越感に浸ってまじまじと見る。
こんなに間近でじっくり見るのは初めてだけど、ナース達がいつも言ってる言葉が素直に思い出される。
確かに『綺麗』だよな。・・・・・・でも。
白い肌がいつもより更に白く、というより血の気の足りないように感じるのは気の所為だろうか。
（もしかして、疲れてんのかな。）
考えてみれば、この男が居眠りなんてすること自体珍しい。その上、こんなに近寄っても気が付かないなんて、やたら勘のいいこいつにしては、らしくない話だ。
引き抜かれた医師達の補充はまだ出来ていない。
ＫＺ病院が手を回してるらしいって話が本当なら、この先も当分人手不足は続くだろう。
忙しいのは皆同じ筈だけど。
机の上には北見のものと思われる資料が拡げられたままだ。
そう、この男は他の者とは立場が違う。
純粋に医師としての仕事の他に院長の補佐も負っている。
おまけに自分の怪我を隠して治療に駆け回るような無茶を平気でするヤツだ。
今現在も、一体どれだけの負担を背負い込んでるのやら。
（出よ・・・）
最初は、起こして気まずそうな顔を見てやろうかなんて悪戯心も無い訳じゃなかったけど。
そう思って離れかけて、輝は自分の探していた資料が机の隅に置かれているのに気付いた。
（あったぁ！やっぱし、ここだったんだぁ。）
探し回ったものをやっと見つけたのが嬉しくて、引っ張ったその資料の端に北見のコーヒーカップが乗っていた事には気が付かなかった。
やべっ！と思ったときにはもう遅かった。
慌てて伸ばした手を擦り抜けて、金属製のコーヒーカップは床に落ちた。
カチャーン！
鋭い音が部屋中に響き渡り、北見の身体がびくりと跳ね起きた。
「なっ！何だっ！」
しどろもどろの輝は、持っていた資料を取り落とし更に慌てた。
白い紙がばさばさと床に零れたコーヒーの上に散らばり、あっという間に茶色のシミが拡がる。
「あっ・・・あ・・・・・・あぁ〜あ。」
「何やってんだ、お前は。」
情けない声を出す輝を、立ち上がった北見が呆れ顔で見下ろした。
「な、何でもないっス。すいません！」
輝は拭くものを探してきょろきょろするが見あたらない。
「どうするつもりだ。」
「ちゃんと自分が掃除しますよ。」
「そうじゃなくて、その資料だ。」
「え？」
一面にコーヒーが染みてよれよれになった資料は、明らかにもう使い物にならない。
「うぅ・・・」
自分の失態に我ながら声も出ない輝に北見の冷ややかな声が追い討ちをかける。
「資料を置き忘れた上に、床を汚して資料をダメにして。まったく、よくそれだけドジを重ねられるもんだな。」
わざとじゃないと反論したいが、言われた事は事実なだけに言い返せない。
ただ上目遣いに睨むしかない輝は、前髪を掻き上げて溜息をついた北見の表情に不意に軽い不安を覚えた。
さっきも感じたあの感覚。
「なぁ。あんた・・・だいぶ疲れてないか？」
形の良い眉が僅かに寄ったが、これ以上ないという程冷静な声が輝に返ってきた。
「ほ〜ぉ。お前に心配されるとはな。」
「何だよ。心配しちゃいけないのかよ！」
「人の心配する余裕があったら、先ず自分のドジを直してから言え。」
「そんな言い方ねぇだろっ。人がせっかく──」
かちんときた。ケンカするつもりじゃなかったのに。
「分かったよ！もういい！！」
ぷいっとそっぽを向くと、踵を返してドアの方へ行きかけた。
「待て。」
「なんスかっ。」
振り向いた輝の顔の前に突き付けられる一揃いの紙。
「え・・・これ・・・」
ダメにしたものと同じ資料。
「何であんたが持って・・・？」
「岩永先生がくれた。俺は一応お前の指導医だからな。」
「・・・・・・」
「いらないのか？」
引ったくるように受け取って、足早にドアの方へと歩く。
「人に作ってもらった資料を簡単になくすんじゃない。」
とどめの一言が突き刺さる。
輝は勢いよくドアを開けると
「すんませんでしたっ！！」
力任せにドアを叩き付けるように閉めた。
せっかく人が心配してやったのに。
・・・・・・ケンカするつもりじゃなかったのに。
ただ白すぎる頬とか、気怠そうな指の動きとかがちょっと気になっただけで。
なのに、あいつにとっちゃ俺の心配なんか余計なお節介なんだよな。
無性に腹が立った。
人の心配をあっさりとあしらった北見に。
そしてそれ以上に、あしらわれても仕方のない不甲斐ない自分に。
足手まといにならないようにするのが精一杯で、俺に任せて休めなんて言えるわけもない自分。
手渡された資料には所々に印や下線が入っていた。
チェックしたんだ、こんなモンまで。
「あ、いたいた。輝先生。」
術着の上に白衣を引っ掛けた姿の岩永が輝を見つけてこっちへ来る。
「資料、見つかった？何だったらすぐコピーできるよ。」
「・・・・・・探してたんですか、俺を。」
「え？うん。だって要るんでしょう、午後の資料。」
輝は手にした資料に目をやって、きゅっと口を真一文字に結んだ。
そして岩永の顔を見上げて、いつものように元気よく笑う。
「ありました。大丈夫です。」
「そう、良かった。」
笑い返す岩永に輝はぺこりと頭を下げた。
「午後の手術、よろしくお願いしまっす。」
「ど、どうしたの。急にあらたまって。」
目を丸くして照れる岩永にまた笑顔を向けて
「俺、頑張りますから。」
そう言って歩き出す。
そうさ、みんな頑張ってんだぜ、北見。
俺だって頑張るから。
今は自分が出来ることを一生懸命やるしかないって分かってる。
でもいつか──いつになるか分かんないけど──いつか絶対、「俺に任せろ」って言ってやるから。
だから、お前一人で全部頑張るんじゃねぇよ。
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