─── やっぱり僕の指導に何か欠けてるのかな････

元気すぎるくらいに元気な新人達の長所も短所も把握して、漸く上司らしい指導も様になってきたと思っていた矢先。
北見に指導医を頼み込んだ韮崎の行動は、正しく青天の霹靂だった。
更に周囲を驚かせたのは、北見がそれを了承したという事。
手の掛かる輝の面倒だけで手一杯だと、あの四宮の熱烈な懇願でさえ固辞しているというのに。
一体この二人の間に如何なる共通目的が存在するのかが、このところのナース達のお喋りに新たな話題を提供している。

どうやら水島は何事にもいつの間にやら首を突っ込む本領を発揮して、この件に関しても一枚咬んでいるのは間違いないらしい。
が、岩永がそれとなく尋ねても───本人はあくまで“それとなく”のつもりでもバレバレなのはまた別の問題として───悪戯っぽく笑うだけで教えてくれない。
北見が韮崎に渡した指導表を垣間見た者によると、それはまるでスポーツアスリートの体力増強メニューのようだったと言う。

「体力ねぇ･･･」

確かに、傍目には楽に見えがちな麻酔科医も、実は意外と体力を必要とする。
外科医のように長時間立って実際に体を動かす体力よりは、寧ろ集中力、緊張の持続力といった類のものであるが。
それも基礎体力があってこそ充分に発揮出来ると考えれば、麻酔科医が体力作りに目を向けるのも妥当な流れだ。

「そうするとやっぱり････北見先生か･･･」

自分だってひ弱じゃないつもりだ。
しかし、体力に関して北見と張り合う気は毛頭無い。
その方面で指導を受けたいなら、北見をおいて他にいないだろう。

「やっぱり････そうなんだろうなぁ････」

韮崎の行為が不愉快な訳じゃない。
北見に「弟子入り志願」した後も変わらず、岩永の指導もきちんと受けている。
それにああいった自主性や行動力は彼の長所でもある。
必要と思ったスキルを身に付ける為に、自ら適任者を見つけ師事する。
屈託がないと言ってしまえばそれまでだが、それなりの勇気が要る事を拘り無くやってのけるのは彼の強みだろう。
それに最近では、韮崎に付き合うつもりか、張り合うつもりかは定かでないが、トレーニングを始めた彼の周りに水島だけでなく、輝や青木、何故か四宮の姿まで見かける。
図らずも第二世代の交流を一層深めるのにも一役買っている形だ。

なのに、問わず語りの溜息がまた一つ。
同時にまろび出るのは、一抹の寂しさと････自分への不甲斐なさだ。
結果的に部下が望む指導に応えられていない自分。その上、相談すらもされなかった。
何でも相談してくれる筈だなんて驕った考えじゃなかったけれど、もうちょっと信頼されてると思ってたのに。

「やっぱり僕、頼りなく見られてるのかなぁ････」

何度目かの溜息と一緒に両肩が落ちる。
と───

「どーしたんスかぁ、岩永先生。」

どんっ！と、デスクにつんのめりそうな勢いで背中を叩かれた。
「ぅわぁっ･･････て、輝先生？いきなり驚かさないでよ。」
「あ、すんません。声掛けても返事無かったんで。」
「･･････ごめん。ちょっと考え事してて････」
きっと情けない顔してたんだろうな。気まずくて俯くと、心配そうな童顔が覗き込んでくる。
「どうかしたんスか？」
「ううん、何でもないよ。それより──」
その表情の所為で常より更に幼さの勝つ顔を安心させようと、笑って話を余所へ向けた。
「輝先生はトレーニングに行かないの？皆で一緒にやってるんでしょ？」
「あぁ、もうすぐ患者さんの検査の予定が入ってるんで、今日は抜けたんスけど。」
その分明日頑張りますよ、と今からやる気満々の仕草を見せる。
日頃のパワフル振りを見ると、これ以上トレーニングの必要があるのかとも思うが。
何でもとにかくやってみる積極性も、彼の長所と言っていいだろう。
「偉いな。輝先生も、皆も。」
そう言って目を細めた笑顔に安心したのか、輝も日向に放たれた仔犬のように嬉しそうに笑う。

─── うん、僕もいつまでも悩んでても仕方ないよね。

「僕も付き合って、少し鍛えようかな。」
気を取り直して輝の顔を見上げると、今度は輝の方が急に焦り出した。
「え？ダ、ダメですよ。」
「？･･･どうして？」
「どうしてでも、岩永先生はダメッ。」
「えー？僕だけ仲間はずれなの？」
「そんなんじゃないけどっ、とにかく岩永先生は鍛えなくっていいのっ！」
「はぁ？」
納得のいかない視線から逃げるようにゴマカシ笑いで後退ると、
「んじゃ、俺仕事あるんでっ！」
首を傾げる岩永を残し、輝は脱兎の如く部屋を駆け出た。

「ヤッベー。岩永先生、まさか覗きに来たりしないよなぁ･･･」
廊下を曲がって漸く一息ついた輝が冷や汗を拭った。
何しろ、一緒にトレーニングに参加されたりしては、実は自分達の合い言葉が『目指せ、お姫様抱っこ！』だなんて事がばれてしまうかも知れない。
とりわけその目標の一人が他ならぬ岩永なのだから、尚のことマズイ。
それに岩永も体を鍛えて筋肉でも付けば、体重が重くなる可能性も大。
これ以上ハードルを上げられるのはさすがに願い下げだ。

─── 何で僕だけ･･･？
一方、再び一人残された麻酔科医局では、悩みを振り払ったはずの頭にまた新たな疑問。

斯くして、麻酔科部長の溜息はもう暫く止みそうにない。