何だか不機嫌そうだな。
いや・・・不機嫌って感じでもないんだが。よそよそしいっていうのか。
俺、また何か怒らせるようなことしたっけ？
今日は忙しかったから、確か朝ほんの少し喋っただけだよなぁ。
あいつも忙しそうだったし。
今日は全然ちょっかい出してねぇぞ。
今夜の当直も、夕方急に北見から頼まれて替わったけど、相棒があいつだとは知らなかったし。
あぁ、そうか。もしかして当直が北見と二人でだと思ってたのに替わっちまったから、拗ねてんのかなぁ。
ガキだな、まったく。

思わずくっくっと忍び笑いを漏らす森を、岩永はちらりと見てすぐに視線を逸らした。

どうしたらいいんだろう。
答えを探す度に、ますますどうしたらいいか分からなくなる。
考えてみたら、僕はずっと彼に甘えてたんだろうか。
いつも僕を気に掛けてくれて、怒っても拗ねても余裕で受け流してくれる彼に。
そりゃあ、彼のことは嫌いな訳じゃない。でも、それとこれとは別で・・・。
・・・別で？・・・・・・そうやって、結局また彼に甘えることになるのかな。
北見先生は急ぐことはないと言ってくれたけど、それじゃ何だかずるい気がして。
だからといって、やっぱり答えはすぐに見つからない・・・。

俯いたままたびたび小さな溜息を零す岩永に、森が話し掛けようとしたその時。
「すいません！救急外来です！２６歳女性、・・・」
突然のナースの声に二人ほぼ同時に立ち上がり、医局を足早に出た。

医局に戻って席に落ち着くと、また沈黙が部屋を支配する。
岩永は森と目を合わせることなく、かといって何をするでもなく、ただ黙ってぼんやり考え込む。
森は立ち上がり、壁際のコーヒーメーカーのポットに手を掛けた。
「コーヒー飲むか。」
返事は無い。
「なぁ、コーヒー。」
「えっ？！」
再度の呼び掛けに漸く気付いて、岩永は振り向いた。
「あ・・・はい。いただきます。」
ことんと目の前に置かれたコーヒーカップに小さく頭を下げる。
「疲れてんじゃねぇか。お前、また無理してねぇ？」
「そんな事ないですよ。」
「そうかぁ。でも、今日一日ちょっと変だったよな。元気なかったっていうか。」
「・・・・・・」
「珍しく書類ひっくり返したりしてよぉ。」
思い出し笑いに軽く肩を揺らして、岩永を見る。
「・・・あ。」
そういえば・・・朝からの苛々で集中力を欠いてたせいか、輝先生から手渡された書類をうっかり取り落として。
輝先生はいつものことだから自分がドジったと思って慌ててたけど、あれは僕が取り損ねたんだった。
「見てたんですか？」
「あんだけ輝先生が騒げば、誰だって見るさ。」
見てたんだ・・・・・・。
きまり悪さに目を伏せて溜息をついた後に、ふと言葉を反芻してみる。

見てた・・・・・・え・・・僕を・・・？・・・今日一日？

そんな素振りなかった。少なくとも自分は気付かなかった。
机の上のコーヒーカップに手を伸ばした。
揺れるたびに香りを立ち上らせるその温もりを、両の手のひらで包み込む。
「なぁ、ホントに無理してないか？」
気遣ってくれる声が素直に心に届いた気がした。
ゆっくり顔を上げると、今朝すれ違って以来初めて合わせた視線を温かい表情が迎える。
その瞳に微笑み返した。
「大丈夫ですよ、ホントに。・・・・・・ありがとうございます。」
「そっか。」
いつもの笑顔に森は安堵の色を見せた。
「まぁ、もうすぐ新しい麻酔科医も来ることだし。それまでの辛抱だな。」
「はい。」

やっぱりすぐに結論なんか出せそうもない。でも──。
この人にもう心配を掛けるのはよそう。この人の傍にいる限り。
どんな答えが出るとしても、それまでは・・・。

「お願いします！救急車来ます！２名搬送中！・・・」
再び響いたナースの声に、弾かれたように二人同時に立ち上がった。

誰もいなくなった医局の中で、残されたコーヒーカップの温かさだけが穏やかな時間の名残りとなった。