「誰だよ、この子？」
「分かんないっスよ。俺だって小児科の患者さんを全部知ってる訳じゃ･･･。」
３，４歳だろうか。寝間着姿の少女はぬいぐるみや雛壇から降ろしたらしい道具類を並べて、どうやらおままごとの様に遊んでいたらしい。
にしても、こんな夜中に小さな子供が起きてていい筈はない。
どれ、ここは一つ優しく諭して早いとこ病室に連れ戻さにゃ。安田は安心させるように笑いながら部屋へ入った。
が、安田が言葉を掛けるより一息早く、にっこり笑った少女の声。
「いらっしゃい。」
「へ？」
後に続いた輝ともども、意外な反応に面食らった。

少女は気にする様子もなく、嬉しげに二人を手招きする。
「おじちゃんはここね。おにいちゃんはこっち。」
床をぺたぺた叩いて無邪気に誘う。
安田はひとまず調子を合わせて彼女の横に座った。輝も仕方なくそのまた横に座る。
「お嬢ちゃん、何してんの？」
「りーちゃんだもん。」
どうやら名前らしい。
「んじゃ、りーちゃん。何してんの？」
「あのね、おひなさまぱーてぃ。」
「一人で？」
「ひとりじゃないもん。」
今となっては確かに････。
「でもさ、もう夜遅いよ。りーちゃんおねむだろ？」
水を向けると、小さな顔が元気良く横に振られた。
「んーん！りーちゃん、へーき。」
「でもさぁ、お雛様もおねむだよ、きっと。」
「おひなさまも？」
小首を傾げて、雛壇の上を見上げた。彼女の背より高い最上段に、白面の上品な笑みが鎮座ましましている。
「ね、お雛様も寝かせてあげなきゃ。」
「んー。でもぉ･･･もうちょっと。」
おねだりするような目で見つめられると、似たような年頃の娘を持つ身としては些か弱いところがある。
安田はさり気なく少女の様子を見た。
外傷患者ではなさそうだ。内患となると見た目だけで判断するのは危険だが、差し迫った状態じゃないなら少し待つか。
「じゃ、もうちょっとだけね。」
「うん！」
安田の言葉に満面の笑顔で応えると、りーちゃんは雛壇に肘を付いてうっとりと人形達の宴を見上げた。

「院長、甘いんだ。大丈夫ですか？」
「なに、すぐ眠くなるさ。そしたらナースを呼んで病室に運んでもらやいい。･･････で、おめぇは何で此処に居たんだよ。」
本質的な疑問をいきなりぶつけられて、輝はみるみる動揺した。
「えっ、いや･･･そのぉ････」
「この雛人形さぁ、毎年盗まれるんだよなぁ。まさかおめぇ･･･」
探るような、睨め付けるような視線にますます焦る。
「ち、違いますよっ。もうしませんよっ！」
「もう？」
「あわわ･･･」
墓穴を掘って慌てて口を押さえた。

去年の犯人は確かに輝だった。
ところが盗ったはいいが、タダでさえ汚く散らかした１Ｋのぼろアパートに飾っておく場所などあろう筈も無い。
仕方なく汚れないように包んで押入に入れていたのが災いした。ある日捜し物のために押入の中をひっくり返した拍子に、気付かず踏ん付けてものの見事に壊してしまったのだ。
悩んだ揚げ句、結局人形に平伏土下座の上、泣く泣く処分するしかなかった。
そして今年も新しい雛人形が飾られたのだが、つい良心が咎めて今日までこの部屋に見に来ることは出来なかった。
しかし今日は３月３日。さすがにこの日を前に盗む不届き者は居なかったようだが、この後はどうか分からない。
盗まれなかったとしても明日中には片づけられてしまうはずだ。
迷った末に最後の見納めにと此処へ来て、少女を見つけたのだった。

「やれやれ････もーすんなよ。」
「しませんってばっ。」
安田が溜息交じりに、ばつが悪そうに俯く輝の頭をこつんと小突いた。
ふと気が付くと少女が傍らに戻ってきて安田をじっと見てる。
「おじちゃん、おにいちゃんいじめちゃだめよ。」
「へ？」
思いの外真剣な眼差しに、二人して顔を見合わせ慌てて取り繕う。
「ち、違う違う。いぢめてないもん。なぁ、てるぅ♪」
「う、うん。大丈夫だよ、りーちゃん。ホントホント。」
ふ〜ん、と二人の顔を見比べる。納得したのか、にっこり笑うと再びぱたぱたと雛壇の脇に駆け戻りぺたりと座った。

ホッと安堵した安田の横で、輝は首を傾げた。
「やっぱ見覚え無いんだよなぁ。あんな子居たっけかなぁ？」
「んなこと言ったって、寝間着姿なんだし入院患者には違いあるめぇ。あんなちっちゃい子が一人で勝手に病院に入り込む訳ねぇだろが。」
「う〜〜〜ん･･･」
少女は相変わらず無邪気な瞳で飽くことなく人形達を見つめている
「ま、何処の科かは、後でナースに確認してみりゃ分かるさ。」
その後ろ姿を微笑ましげに眺めて、安田は輝の疑問を受け流した。

＊　＊　＊　＊　＊

がくっと首が落ちて、輝は自分が居眠りしていた事に気付いた。
───やべっ、俺寝てたぁ？
慌てて見回すと、昨夜と同じプレイルームに早くも朝日が射し込んでいる。
「あれ、あの子は？････院長。」
雛壇の脇に佇む安田に声を掛けた。
「院長が病室に連れてってあげたんですか？」
振り返った安田は複雑な笑みを浮かべた。
「いんやぁ、自分で帰ったよ。」
「えー？？？一人で返したんですか？んじゃ、結局何処の科の子だったんですか？」

得心のいかない輝には答えず、安田は雛人形の横に飾られた雪洞を手に取った。
真新しいそれをひっくり返すと、台座の裏に日付と名前。
（麻生･･･りんこちゃん･････か。）
朧気に思い出した記憶が間違ってなければ、報告を聞いたのはちょうど１年前だ。
入院中に容体の急変で亡くなった少女。手術すら間に合わずに逝った彼女は、もうすぐプレイルームに飾られる筈の雛人形をとても楽しみにしていた、と。
そうして今年、少女の両親は娘の思い出と共に一対の雪洞を病院に寄贈した。

（そんなに楽しみだったんだな･･･）
目の前で黎明の光の中に消えた無邪気な笑顔。
雪洞を再び雛人形の横に戻して、安田は呟いた。
───綺麗なお雛様だろ。これからずーっと一緒だぜ。

まだ事情の分からない輝が食い下がるように覗き込んでくる。
「一体何がどーなってんですか？」
「いいから。ほれ、行くぞ。仕事仕事。」
安田は訝る輝の襟首を掴んで引き擦りながら部屋を後にした。