宴の後

「おい───」

掛けられた声と肩を軽く揺らす手で、目が覚めた。
薄っすらと瞼を開けた視界に白いシーツの波。夏物のそれのさらりとした感触が頬に心地良くて、思わずまた目を閉じてしまった。
染み付いた微かな煙草の匂いも、良く知ったもののような気がして安心感を誘う。

でも･･････何処だっけ、ここ？

覚め切らない頭でぼーっと考えてると、上からまた声が降ってきた。
「ほら、そろそろ起きねぇと、朝メシ喰いっぱぐれるぞ。」
もう一度目を開けて聞き慣れたその声の主を見上げて、漸く自分の居場所が理解できた。
（あぁそうか、ここ森先生ん家････････えぇっ？？！！）
がばっと跳ね起きた。途端に、くらりと目眩を覚えて再び倒れ込む。

「おいおい、やっぱり二日酔いかぁ？」

「ん～～････」
頭痛こそしないが、からかう声に返事する元気も出ない。
シーツに突っ伏したまま、だんだん思い出してきた。
どう考えても、飲んだメンバーが悪かった。
安田に北見に森。この３人と一緒じゃ、自分なんか潰れるまで時間の問題で。
案の定、２軒目を出た辺りまでが、記憶の限界だ。北見に腕を支えられて歩いてた筈なのだが。

「何で森先生ん家にぃ？」
重い頭を僅かに擡げて訊く。
「何だ？覚えてないのかよ。あんたが駄々こねたんだぜ。」
「へっ？？」
「奥さんまた実家帰ってるから、独りの家に帰るのやだ、ってな。」
「う･･そ････？」
「嘘なもんか。『じゃあ俺ん家来るか』ってったら、嬉しそうにほいほい付いて来たぜ。」
毛布ごと身体に腕をまわして引き寄せ、
「やっとその気になってくれたんだよなぁ。」
楽しげに圧し掛かってくる。
「ええっ？！ちっ違いますよっ。ちょっ･･･待って････ぅわ～～！！」
パニック寸前の岩永はわたわたするばかりで、まともな抵抗になってない。
半身をベッドに乗り上げた森に抑え込まれて、情けない声を上げたその時───

「いい加減にして下さい、森先生。」

部屋の入口から、呆れ気味の声が飛んだ。
「客を台所に立たせておいて、何遊んでるんですか。」
そう言う北見が、白いエプロン姿におたまを持つ手を腕組みして仁王立ちしている。
「おぉ、悪りぃ悪りぃ。いやぁ、似合ってんな、それ。」
「似合ってなくて結構です。それより院長が朝風呂貰うって言ってるので、バスタオルお願いしますよ。」
仏頂面と冷ややかな視線に、森は溜息をついて肩を竦めた。
「へいへい。承知しました、お姫様。」
押さえ付けてた岩永の髪をくしゃくしゃ掻き回したのが行き掛けの駄賃か、漸くベッドから降りると、「お、旨そうな匂い♪」と片目を瞑って北見の横を擦り抜けた。

居間の方へ消えた後ろ姿を見送って、北見はベッドの傍へ歩み寄った。
「おい、二日酔いは大丈夫か。」
「え････はぁ。」
成り行きが呑み込めてない岩永は目を瞬かせるばかり。
「あの･･･一体どうなって････？」
「何だ、やっぱり覚えてないのか？」
「はぁ。」
すみません、と項垂れる岩永を見下ろして、北見はクスリと笑う。
「お前、完全に潰れてしまってな。帰っても独りなんじゃ、家に帰すのも心配だし。」
思い出し笑いを堪えながら話す北見の声に、ますます赤い顔が俯く。
「それで、一番近い森先生のお宅に皆で転がり込んだんだよ。」
「すみません････」
「気にするな。どうせ二人とも飲み足りなかったみたいで、お前をベッドに放り込んだら結局居間で朝まで呑み通しだったし。」
まったくタフだよな、と諦め半分に笑う。
その横顔をちらりと見上げて、岩永は「あなたも相当なもんですよ。」と呟く、もちろん心の中でだけど。

自分をぼんやり見上げている岩永の視線を勘違いしたのか、心配そうな顔が降りてきて覗き込む。
「おい、本当に大丈夫か？」
おたまを左に持ち替え、しなやかな右手が柔らかく額に触れた。
「お前も無理して最後まで付き合うことないんだぞ。」
あの二人に捕まってそれは無理ですよ───なんてこと思っても、やはり岩永は決して口には出せない。だって、そんなこと言ったら気を遣ってもう誘ってくれないかも知れない。
「だ、大丈夫ですよ。無理してません･･･から。」
言った後で、見え透いた答えだと思った。やっぱり呆れてるだろうか。
返された北見は小さく笑っただけで、岩永の肩をぽんと叩いた。
「分かった。じゃあ次から潰れないようにしろよ。でないと、また俺が朝飯作る羽目になるんだからな。」
ただ、手に持ったおたまを揺らして「早く支度しろ。朝飯食うぞ。」と促した後部屋を出る後ろ姿は、明らかに肩が微かに揺れていた。

支度を済ませて恐る恐る台所を覗き込んだ岩永を待ち受けていたのは、湯気の上る食卓と、
「おう、やっと来たか。」───朝風呂上がりでさっぱりした顔の安田と
「気分はどうだ？」───にやにや笑いながら席を勧める森。

「は･･･はい、すみません。」
北見の差し出す味噌汁を受け取りながら、心に決めた岩永だった。
（とにかく、この二人に潰されない為には、上手い躱し方を覚えなくっちゃ････）

無論それがとてつもなく困難だという事は分かっているけれど。