うたかたの揺籃


 
ゆうらり―― ふうわり――

・・・・何だか揺れてる気がする・・・・気のせいかなぁ・・・?

ゆうら――ゆうら――

やっぱり揺れてる、僕の身体・・・・

それはとても優しい、とても心地良い揺れで。
当たる夜風は昼の暑さを僅かに残していたけど、酔いで火照った頬には充分涼やかで。
薄っすら目を開けると、ぼやけたネオンや車のライトがゆっくりと流れていく。
それがまた優しい灯りの走馬燈のようで。

あ・・・きれいだなぁ・・・・・
 

「そんなら僕、こん二人送っちょきますけん。」
「おぅ、じゃあ頼むぞ。」
両腕に上司を抱き抱え、肩に小柄な同僚をちょこんと載っけた韮崎は、一声掛けるとタクシー乗り場に向かって歩き出した。
その足取りは人間二人を抱えてるとは思えないほど軽快で、見送った面々を唖然とさせる。
「韮崎先生、凄いですね。」
「う〜ん、あれが北見先生の指導の成果かぁ。」
酔い潰れて肩からずり落ちそうな輝を背負い直した時任は、感心しきりだ。
遠ざかる背中と、脇で立ってるのがやっとの青木の赤い顔を見比べて溜息をつく。
「お前達も一緒に受けたんだろう。せっかく鍛えてもこれじゃあ役に立たんな。」

韮崎がタクシー乗り場に着くと、客待ちしていた運転手が目を丸くしながらも急いでドアを開けた。
運転手の驚きをよそに、韮崎は二人の身体をそぉっと下ろすと、頭をぶつけないよう気を付けながら順に後部シートに乗せた。
倒れないか心配だったが、二人とも互いに寄り掛かったまま目を覚ましそうにない。
水島は普段の訳知り顔が嘘のようなあどけない寝顔。
そして岩永は――なんだか気持ち良さそうに笑みさえ浮かべてる――韮崎にはそんな風に見えた。
(よう眠っちょるし、良かやろ。)
助手席に乗り込んで方角を告げた韮崎は、安らかな寝息の気配を背後に感じながら、適度な酔いと走り出した車の揺れにゆったりと身を任せた。


 
―――翌朝

「ひどぉーい!韮崎先生ったら!」
麻酔科医局のドアを開けた途端、岩永はただならぬ勢いの水島の声に面食らった。
「けど、水島先生もよう寝とったし。」
「だからっ、起こしてくれれば良かったのにぃ。」
いつも通り暢気な韮崎に水島が食って掛かっている。
「な・・ど、どうしたの?二人とも?!」
慌てて割って入ろうとする岩永に向き直った水島は、今度は岩永に詰め寄る。
「部長!酷いと思いません?韮崎先生ったら、昨夜部長の抱っこに成功したのに教えてくれなかったんですよ!!」
「・・は?」
抱っこ?成功??
「いつ?!」
「だから昨夜。」
「???」
全然憶えが・・・・・・も・もしや、あの感覚・・・?
「ほら、やっぱり証拠写真を撮っとくべきだったでしょ。」
「ほんならもういっぺんやったら良かろか?」
「うん、お願い。」
ええっ?!
頭を抱えていた岩永は、いそいそと携帯を取り出す水島を見て改めて我が身に迫る危機に気付く。
「ちょ、ちょっと待って。もういいでしょう、成功したって言うんだし。」
「ダメです。私見てませんっ。」
「でもほら、時間が。そう、朝の部長会が始まるから・・・・」
そう言って後退りながら後ろ手に探っていたドアが突然開いて、岩永は危うく後ろ向きに倒れ掛けた。
どん、とぶつかった人物に「すみません」と振り返ると同時に腕を掴まれ、ぎょっとする。
其処に立っていたのは強面の外科部長。
一見無愛想なのはいつもの事なのだが、今朝は何故だか明らかに凄味が違う。
「時任先生から聞いたぞ、岩永。」
「え?」
いや増しに募る嫌な予感に怖く岩永の手首をがっちり掴んだまま、不機嫌そうに睨み付けている。
「お前、韮崎先生に抱っこされたそうじゃないか。」
「そうなんですよ、北見先生!」
助け船と見た水島がここぞとばかりに訴える。
「なのに私見逃しちゃったし、証拠写真も撮ってないし。」
「よし。俺も指導医として見届ける義務がある。」
「そ・そんな・・・」
未だ往生際悪く抵抗する岩永を、遥かに上背のある二人が両側から挟み込んだ。
「大体何の為に俺がこの指導を引き受けたと思ってるんだ。」
「もう要領は分かりましたけん、心配いらんですたい。」

「はーい、準備OK。いつでも良いですよ。」
携帯のレンズを向けてにっこり笑う水島の声に逃げ道を失った岩永は、夢心地の揺籃の代償が思いの外高くついた事を思い知った。