陽溜まり』

陽溜まり

「綺麗ですね。」
日向ぼっこ中の猫みたいに目を細めて、あいつが言った。

今までいろんなヤツから散々言われてきた言葉。
正直、ウンザリしていた。
───ヒトの外見しか見てないのか、お前ら。

だけど、
あいつがあんまりストレートに言うから、あんまり屈託無く笑うから、
腹が立つよりも気恥ずかしくて、横を向いた。
「そういうセリフは女に言えよ、俺なんかじゃなくて。」
あいつはきょとんとした顔で小首を傾げる。
「･･･そうですか？」
底意のない真っ直ぐな視線が何だかむず痒くて、ますますそっぽを向くと
俺が怒ったと思ったのか、少し狼狽えて伏し目がちにこっちを窺っている。
その様子が可笑しくて妙に可愛く思えて、つい笑ってしまった。
俺が怒ってないと判って、あいつもホッとした顔で嬉しそうに笑う。

それだけなのに、ガラス越しの陽射しがふと暖かさを増したような気がした。

『不思議なヤツだろ。』
と、あの人が俺に言ったことがある。
『不思議なヤツだよな。自分で見つけてきといて、こんな言い方もおかしなもんだが。』

何でも面白がるのは、あの人の癖だ。
『地味で控え目で目立たねぇ。皆の中にいると、なんて事ない普通のヤツなのになぁ。面と向かって話してると、いつの間にか素直に自分が出ちまってないか。』
俺を見て楽しそうに含みのある笑いを向ける。
『気が合ってるみてぇじゃねぇか。いい事だ。執刀医と麻酔科医の連携がうまくいくと、手術の流れも違ってくるもんだ。』
あの時は、そんなこともあるなと頷いただけだったが。

───俺は泣いてなんかいない。

いつものように煙草に火を付けた。
データを打ち込む間、紫煙の送り火は傍らで燻り続ける。
氷のように冷たく張り詰めた空気が、結界となって他人を容易には寄せ付けない。

なのに気が付けば、その結界の内側にあいつはいた。
僅かに濡れた瞳のまま。身動ぎもせず立っている。

俺は燃え尽きる寸前の火を揉み消して、打ち終えたノートパソコンを閉じた。
「患者さんが亡くなる度に泣いてたんじゃ、身が保たないぞ。」
「えぇ･･･でも･･････」
気遣うような視線に何故だか苛立ちを覚える。
「あなたも泣･･･」
ガタンッ──とわざと音を立てて立ち上がり、言葉を遮った。
「すみません････そんな筈ないのに･･････」
臥せた目を、それでもなんとかもう一度引き上げ、俺を見る。
「そうですね。あなたは決して泣いたりしないから････」
だから、心配で･･････と淋しげな笑みと瞳が無言で語る。

それが、苛立ちの正体を俺に突きつける───これは怖れだ、と。

立ち止まったら最後、そのまま崩れ落ちそうになる自分。
そんな自分を気付かれない為に、また立ち止まっている間に失われる生命に後悔しない為に、必死で叱咤するもう一人の自分。
それを見抜かれるのではないかという怖れ。

「あぁ、そんな暇なんかない。」
いや、もう見抜かれているんだろう。
それでも認める訳にはいかない。立ち止まる事など許されないのだから。
「いくぞ。」
視線を引き剥がすようにして横を擦り抜けようとして、腕を掴まれた。
苛立ちを隠せずについ、声を荒げる。
「何だっ。」

「すみません───」
一言、それだけ言って。
不意に、行く手を遮るあいつの手がふわりと俺の髪に触れた。

黙って柔らかく抱き寄せる腕に逆らいもせず、俺の頭はあいつの肩に。
あやすような優しい指が髪を滑る。

───俺は泣いたりしない。

それでも、今だけ･･････
陽溜まりのような温もりを手放し難くて。ほんの少しの間留めておきたくて。
目を閉じて、応えを返すように温かい背中を抱き締めていた。

今だけでいいから･･････