ガラス越しに見上げた空は澄んだ水色。

冷たい外気は遮られ、柔らかい陽の光が暖かさだけをくれる。
季節を忘れそうな穏やかな光がフロアに溢れていた。

雲一つない青空に一条の白い筋を見つけて、岩永は今此処にいない人物を思い浮かべた。
あれに彼が乗ってるはずはないのに。
彼が機上の人となったのは数日前。出席予定の学会は確か昨日終わって、きっと今頃は･･････。

『ごゆっくり。』
出発前にちらりと見せた照れ臭そうな表情をほんのちょっとからかったら、『お前までそんなこと言うのか。』と少し拗ねた顔。
でも瞳の中の高揚だけは隠しようもなかった。
そう、今頃はきっとその瞳にいっぱいの喜びを映してるはず。

一直線の白い筋は滲むように薄れて、やがて消えていく。

「よぉ！暇そうだな。」
突然、ばんっと勢いよく背中を叩かれた。
危うく手にしたカップのコーヒーを零しそうになって、慌てて持ち直す。
「ぅわっ！･･････もう、脅かさないで下さいよ。」
言ったところで無駄なことは分かっている、一応の文句だけは言ってみるが。
「悪りぃ悪りぃ。」
案の定、天下無敵の内科部長はちっとも悪いなんて思ってないのが見え見えの態度で、岩永の正面の席に陣取った。
どうやら穏やかな午後の休憩時間はこれで終わりを告げそうだ。
岩永が覚悟を決めて肩を落とすのを見て、「ほら、それそれ」と指で指す。
「･･･？」
「さっきから何回溜息ついてんだよ。」
「えっ？」
にやにや笑いながら探るように覗き込んでくる顔に、目を瞬かせた。
「あ、あなたが来たからですよ。」
ちょっと皮肉のつもりで視線を逸らす。
「何言ってんだ。さっきからずーっと空見上げて、何回も。」
「えっ？」
言われてつい視線を戻してしまった。
「そんな･･･。溜息なんかついて･･･」
なかったつもりだけど･･････ついてたのかな、僕。
しかも、よりによってこの人に見られるなんて。
ふっと漏らした息を「ほぉら」と笑われて、思わず手で口を押さえた。

「明日には帰ってくるな。」
結局、この人には何もかも見透かされてるらしい。
「そうですね。」
静かに笑った岩永に、今度は森が苦笑いで小さな溜息をついた。
「そんなに淋しいか、姿が見えねぇと。」
「淋しいなんて･･･」
そりゃ、少し･･････。けど、理由は“いないから”じゃない。
彼の幸福がやっぱりあの人と共にあることなのだと、思い知らされるから。

病院はもう落ち着きを取り戻しつつあるけれど、まだ院長の長期不在が許されるほどではないし、仮に周りが許してもそれを自分に許す彼でもない。
たぶん、フリーになれるのはたった一日。
だけど、その一日は彼の身も心も充分に癒してくれる一日に違いない。あの人さえ傍にいれば。

「帰ってくるんですから。」
岩永は顔を上げて、ガラス窓の向こうの青空を見上げた。
飛行機雲はとうに消え、今はただ一片の曇りもない青。
「元気になって、帰ってきてくれるんですから。」
暫しの間翼を休めて、想いに満たされて。そしてまた輝くような笑顔を見せてくれる。
それが信じられるから。
「あぁ、そうだな。」
岩永の視線の先、このところの寒さを忘れさせてくれるような明るい陽射しを森も見上げて目を細める。
「また忙しくなるぜ、一段と元気になった姫君のお守りで。」
揶揄するように笑う森につられて、岩永は楽しそうに頷いた。