輝の『中学生日記』
「ただいまー!」 兄貴が帰ってきた。
「お邪魔します。」 あっ、また岩永先輩も一緒だ。
二人分の足音が二階に上がってくる。 兄貴の部屋は俺の部屋の隣。そこのドアが開いて二人が入ってった。 俺が頃合いを見て下に降りてくと、計算通りキッチンから母さんの呼ぶ声。 「輝、ちょうど良いわ。上に戻るならついでにこれ、お兄ちゃんの部屋に運んでね。」 「ちぇっ。またぁ?」 と、言いながら、渋々引き受けるフリ。 これで、兄貴の部屋に入る口実はオッケーだもんね。 母さんの用意したケーキと紅茶のトレイを持って、二階に戻ると 「アニキィ、入るぜ。」 兄貴の部屋のドアをノック代わりに蹴飛ばして開けた。
「お前、もうちょっと静かに入れねぇのかよ。」 「あ、悪りぃ。」 ふーんだ。兄貴に言われたかねーよ。 兄貴の文句なんか聞き流して、座ってる岩永先輩の前にトレイを置いた。 「どーぞ。」 ありがと、と岩永先輩がにっこり笑う。 ホントに何でこんなに優しい人が、がさつなうちの兄貴なんかと仲がいいのか分かんないや。何故か気が合ってるらしいんけど。 「おい、置いたら早く出てけよ。」 「いーじゃん、いたって。」 あくまで兄貴は無視無視。 「ねぇ、先輩。教えて欲しいとこあるんだけどダメっすか。宿題で分かんないのがあってさ。」 「そんなん後で俺が教えてやるから、あっち行けよ。」 「ヤダよ。兄貴、分かんないとすぐ殴るんだもん。」 「お前がバカだからだろ。」 脇でくすくす笑いながら聞いてた岩永先輩が口を挟んだ。 「僕は構わないよ。いいだろ、森。」 「う・・・・・・ん〜、まぁ。お前がいいなら・・・」 思いっきり不本意そうに呟く。 やったね、これで決まり。兄貴が岩永先輩には弱いの知ってるもんね。 「ちょっと待ってて。今、持ってくるからっ。」 俺は自分の部屋に駆け込んで、ノートと教科書をひっ掴んだ。
* * * * *
「サンキュー、岩永先輩。」 輝のヤツが、やっとノートを閉じて部屋を出ていった。 あいつときたらまったく。岩永に懐きたがってるの見え見えなんだよ。 「悪りいな、バカの面倒なんかみさせちまって。」 岩永は笑って羨ましそうに俺を見た。 「いいよな、兄弟がいるって。」 そう、こいつは兄弟がいない一人っ子。その上、両親とも働いてて殆ど家にいないときてるから、賑やかな俺んちに来るといつも楽しそうだ。 実はその顔が見たくて、よくうちに誘うんだけど。 意外にどこか淋しそうな笑顔に、不覚にもどきりとしてしまった。 「あ・あんなの、居たって五月蝿いだけだぜ。」 そんな顔が見たくて呼んだんじゃねぇよ。 「それより、今日も晩飯食ってくだろ。」 「え・・・また、いいのかな。」 「いいって。お袋だって一人でも多い方が賑やかでいいって言ってるし。」 「お父さん、また居ないの?」 「ああ。学会の招待とかで今週はアメリカ行ってるよ。」 「凄いよね。世界的に有名だもの。」 「ふん。名外科医かなんか知らねぇけど。いくら患者第一だからって、家族ほっぽらかして離婚されてちゃね。親父としちゃろくなもんじゃねぇさ。」 そう、実際腕が良いのは確からしい。難しい手術となると頻繁に、時には海外からも呼ばれて文字通り飛んで行く。 それで人の命が救えるんだから、偉いと言えば偉いのは分かってる。でも・・・ 「お陰で弟と名字が違うって変な目で見られるし。」 離婚後、母親に引き取られた俺は母方の姓。母親が死んだ後、再婚した親父のところに戻ったが、姓はそのままなので血は繋がってても弟の輝と名字が違うという、ややこしい状況だ。 「俺は医者になっても、親父みたいにはならないぜ。絶対、家族を大事にするんだ。」 かなり本音の俺の力説を聞きながら、岩永はくすくす笑ってる。 「なんだよ。どっか可笑しいか?」 「そんな事言ってたって、森が医者になったらきっと、何があったって患者さんの処に駆け付けるさ。」 「そ、そっかぁ?」 「うん、患者さん思いの良い医者になると思うよ。」 「フン。」 こいつに言われたらそんな気になっちまうのが不思議だ。 「お前だって医者目指してんだろ。患者思いってんなら、お前の方が似合ってるよ。」 「そうかな?そうなれればいいけどね。」 素直ににっこり笑った顔にまたどきりとする。 何でいちいちこいつの表情一つにドキドキしなくちゃなんねぇんだよ。 「あ、そんな事より・・・・・・忘れないうちに、これ。」 本棚から分厚い医学書と、一冊の医学雑誌を引っ張り出した。 「これが見たいって言ってた本で、こっちは新しく創刊したって雑誌。こっちも読みたがってたろ。」 「あぁ、ありがと。」 本屋さんには置いてなくてね、と言いながら嬉しそうにぱらぱらと捲る。 うちには医学書には事欠かないし、親父の名声のお陰か、こういう医学雑誌もよく送られてくるんで、これもこいつを家に呼ぶ口実に使わせて貰ってる。 この点に関してだけは感謝してやるよ、くそ親父。
「兄貴〜、母さんが晩飯出来たってさ。」 輝がまた部屋のドアを蹴飛ばす。 「解った!すぐ行く!」 まったく、うるせぇ奴だな。 行こうぜ、と岩永を促してドアを開けると、何故かまだ輝が廊下に立っていた。 「何してんだ、お前?」 訝る俺の袖を引っ張ったまま、岩永には「あ、先に行ってて」と猫被りの愛想笑いしやがって。 「何だよ。」 腕を振り払った俺を睨み上げて 「俺だって先輩と一緒の大学行って、医者になるんだ。兄貴に負けないからね。」 「?!・・・お前、立ち聞きしてやがったなっ!」 ふん掴まえようとした俺の手をかいくぐって、にかっと笑ってやがる。 「お前みたいなバカ、医者になんかなれるかよ。」 「へーんだ。頑張るもん。」 いーっと歯を見せると、どたどたと階段を駆け下りていった。
あんなヤツ、医者になんかなれるもんか。 ・・・・・・と言うか、なったら患者が気の毒ってもんだ。
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