|
交 差
何故だ。
何故、あいつに勝てない。 偶然から発したものとは言え、お膳立ては完璧だった。
それなのに――― 最高の餌を、最低の状態で突き付けてやったというのに。
何故だっ！！ 「出掛けて来る。」 「どちらへ？」 「どこでもいいっ。」 苛々とキーを掴んで、気付けば車を走らせていた。 ＋ ＋ ＋ ＋ ＋
最悪の気分だった。 「明日は休め。」 そう言った院長に首を振ったのまでは覚えているが、そこから先の記憶はない。 心配顔のあの人を、作り笑顔で送り出したような気がする。 引き摺る体で寝室のドアを開け、上着を脱ぎネクタイを解いて―――― そこまでが限界だった。 倒れ込むようにベッドに突っ伏して、気付いたら朝日が昇っていた。 皺になったシャツに、顔を顰めながら体を起こす。 幾らか体は軽くなったが、頭はまだすっきりしない。芯に鈍く残る頭痛は、例の妙な薬よりは、睡眠薬の所為だろう。 燻る不快感に眉を顰め、苛々と髪を掻き揚げる。深く吐いた息の熱さに、北見はまた顔を顰めた。 Ｔｒｒｒｒｒｒ――――
熱っぽい体をシャワーの熱さで誤魔化そうと、投げ遣りな診断で立ち上がり掛けた時、枕元の携帯電話が鳴り出した。 「はい、北見です。」 いつもと同じに出た筈だが、電話の向うの声は言った。 「辛そうだな。」 「･････院長･･」 「今日はいいから････」 「いえ、行きます。」 「北････」 気遣う響きに耳を塞いで、電話を切った。 受話器の向うで、顰めっ面の安田が目に見える。こちらから先に切ることなんて、滅多なことではなかったから。 ベッドに携帯を放り出して、北見はバスルームへ足を向けた。意地と言うよりは逃げ。考える暇は欲しくなかった。 今日病院へ行って、院長室に行って、あの人の前で頭を下げる。
それで終わりだ。 それで終わりに―――したかった。 ＋ ＋ ＋ ＋ ＋
「お疲れさまでした。」 「お疲れさま。」 ロッカールームで一緒になった岩永と、自然に連れ立って外に出る。駐車場までの短い道のりを、他愛のない会話をしながら歩いた。 いつもの光景。何一つ変わらない。 ―――それでいい。
「じゃ、また明日。」 岩永が手を上げて車に乗り込む。 「あぁ。」 北見も手を上げて、そこで別れた。 ―――これでいいんだ。 助手席に荷物を置いた時、軽いクラクションの音が聞こえた。 会釈する穏やかな笑顔に手を振って、北見も鍵穴にキーを差す。そして、黒い車体を追うように、濃紺の車が滑り出した。 変わらぬ風景。変わらぬ帰路。 けれど―――
交差点の向かい側、反対車線の道端に、一台の車が停止していた。
その直前で、左右へ別れる二台の車。
――――見送る人影が、微かに揺れた。
静かに車が滑り出す。 |