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◇◆寒 椿◆◇
振り向いたその瞳は、一瞬炎を纏ったかに思えた。 「苦界？苦界とは何を指しましょうや？」 端正な面差しの中でも一際目を引く挑むような眼差しが、森の顔を正面から射る。 「日々の糧の為に身を販ぐ事ですか？それとも河原者と蔑まれる事？」 人買いに売られた幼き日より、強いられた苦渋と屈辱。否応なく突き付けられたのは現世(うつしよ)の無情、そして己の無力。 それは確かに苦界と呼ぶに相応しい過去だったに違いない。だが―― 「そんな事に己の矜持を磨り減らすなぞ馬鹿げた話。」 顔を上げてそう言い放つ瞳に、虚勢も誤魔化しも見受けられない。 「人は、明日に繋がる想いさえあれば、如何な辛酸も耐えられるもの。逆を言うなら、叶えたい希望を持たぬ者は如何に世の春を謳歌しようと、結局は生きた屍。」 日毎夜毎、享楽に明け暮れる権力者どもをまるで憐れむかのような笑いさえ浮かぶ。 一介の白拍子の吐く言葉とは思えぬ不遜さだが、語る立ち姿はあまりにも凛然として微塵の違和感も感じさせない。 「そして魂が死してしまえば全ては塵も同然。有為か無為かも生きていてこそ語れる。そうではありませんか。」 「だったら、あんたがその魂を保ち得たのは一体どんな想いがあってだ？」 それはきっと、常に他者の立ち入る事を許さぬ稟たる瞳の奥底で、今も胎動を続けている筈だ。 「俺は己の価値を知りたかっただけです。ただ物のように売り買いされ、人の欲に供されるだけの存在で終わりたくなかった。」 白い指が生け垣に積もった雪を一撫でする。 とさりと落ちた雪の下から艶やかな緑と対を成す深紅の椿が顔を出した。 「今、俺には舞がある。修錬を経て得た俺の、俺だけの価値です。この天地(あめつち)のもと、何処で舞おうと俺の自由。」 なるほど、と森は苦笑交じりの溜息をついて頭を掻いた。 「俺の心配なぞ、あんたには無用のお節介だったな。」 「いえ、貴方の気遣いにはいつも感謝しています。」 そう言った時の綻んだ表情を見る限り、その言葉に嘘はないだろう。 だが次の瞬間には、黒曜の双眸は遙かな稜線を目指す鷹のような光輝を醸す。 「ただ、舞を認めての支援ならば誰であれ拒むつもりはないというだけの事ですよ。後見を取りたがる連中がいれば取らせてやりましょう。その上で俺自身も欲しいというのならくれてやっても良い、身体だけで満足するのならね。」 |