冴え冴えとした空気を更に清浄なものへと変える存在が、其処に在った。

御簾越しに忍び入った微風さえも、結界に触れて動きを止める。
その中心に座す者は、手にした笙を大事そうに傍らの手火鉢に翳し、乾いた空気に潜らせている。
そして両の掌で包み込むと、ゆっくりと顔の前に運んだ。

次の瞬間―――

その調べは天上より静かに降りてきた。

徒人(ただびと)が持てば細竹の束にすぎぬものが今、妙なる玻璃の音を奏で始める。
この調べが彩雲を呼ぶと言われたなら、さもありなんと納得してしまうだろう。
それほどに神さびた旋律は、束の間、時の過ぎるを忘れさせた。

やがて降りてきた時と同じく静かに、調べは天上へと去っていった。

静寂が戻って暫し後、徐に笙が下ろされ、ほぅっと小さく寛ぎの息が零れた。
そして、笛が床に置かれるのを見て漸く、森は声を掛けた。
「大したもんだな、あんた。」
途端に、振り向いた顔が紅梅に染まる。
「えっ？･･あ･･･き･聴いて･･？」
部屋中の気をも支配していたようなさっきまでうって変わって、あたふたと狼狽える様が可笑しくも好ましい。
「おう、タダ聴きで悪いたぁ思ったが。けど邪魔すんのも悪いし、かと言って聞き逃すにゃ勿体ねぇしな。」
音曲に疎い身であっても、これが並みの白拍子風情に出せる音じゃない事くらいは解る。
なるほど、これならあの舞姫と組んで評判を取らぬ筈はない。
伏し目がちに「ありがとうございます」と頭を下げる姿に、勝ち気な黒曜石の瞳が対比して思い出され、森はまた笑みを浮かべた。




《 ｂａｃｋ 》