夢の終わり −2−




リビングに戻ってきた森は、グラスを置いた岩永に何枚かの写真を手渡した。
「こないだのやつだよ。」
報告書に添える写真を撮ったついでに写したものだ。
異国の風景、異国の人々の中に違和感無く溶け込んだ森が、屈託のない笑顔を見せる。
セメント塗りの簡素な建物がおそらく診療所だろう。
誇らしげに笑う現地スタッフの若者達。
子供達は、はにかみながらも好奇心いっぱいの目を向ける。
和んだ表情で一枚一枚写真を繰っていた岩永の手が止まった。
「ちょっと似てるだろ。」
細身の少年が少し恥ずかしそうに立っていた。
そのくせ真っ直ぐ視線を外さない黒い瞳が微笑んでこちらを見つめる。
「いい子だったよ。毎日のように手伝いに来てた。」
「・・・・・・亡くなったんですか。」
「あぁ、俺が帰るほんの数日前にな。事故だった。」
「そうだったんですか。」
岩永は少年の眼差しの先を思って、じっと写真を見た。
「この子、あなたのことが大好きだったんですね。」
「・・・なんでそう思うんだ?」
「え?だって・・・・・・これ、あなたが写したんでしょう。彼、とっても嬉しそうに笑ってるから。」
唐突に森の中でいつかの光景が甦る。

── ドクター、その人のこと好きなんだ
   だってとっても優しい顔で笑ったもの ──

「森先生?」
気遣うように覗き込む岩永の表情に、森は苦笑を返す。
「情けねぇ話だよな。いつまでも顔に出るほど引きずってるなんてよ。」
そんなこと無いですよ、と岩永は首を振った。
「あなたも彼のこと、大好きだったんでしょう。」
そうだ。この人は強い人だけど、それは傷付かないという意味じゃない。そんな当たり前の事を、この人といると忘れそうになる。いつも変わらない人だから。

「あんたぁ、ホントにいい子だな。」
森が岩永の頭に手をやって、髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「やめて下さいよ・・・・子供じゃないんですから。」
不本意そうに睨み上げた岩永の顔と言葉が、また過去の光景にダブる。

── ガキじゃないってば! ──

あの時、あいつはどんな顔をしてたんだろうか。
俺は振り返らないまま、そうして手放した。あの時はそれが最善だと。
今浮かぶのは、諦観を含んだあの笑顔。
『後悔』だったのか?──纏わりついていたもどかしさの正体は。


「森先生・・・?」
心配気な瞳がまた話しかける。
「いい子だよ。」
髪を撫でた指が滑り降り、岩永の項をゆっくりと引き寄せた。
途端に、全身が強張る。いつもならとっくに逃げ出している筈だ。
それでも、せめて今だけでも逃げたくないと思った。
同情のつもりじゃない。ただ、彼が今自分を必要としているなら・・・と。
岩永は顎に添えられた指に大人しく従った。

だが───
突然、岩永の腕が森の身体を強く押し戻した。
「どうした?」
戸惑う岩永をもう一度引き寄せようとして、突っ張った腕にまた拒まれる。
触れた唇がまるで見知らぬ人のような感覚。
「・・・僕を見てるんじゃない。」
「え?」
言葉が口をついて出た途端、岩永は後悔した。
言うべきではなかった一言。一瞬固まった森の態度は、それが図星である証拠。
言葉に詰まった森を後目に、岩永は立ち上がって廊下へ出た。


「あ・・・お、おい。」
森は慌てて後を追い、岩永の腕を掴んだ。
「ちょっと、待てよ。」
「離して下さいっ。」
振り返りもせずに腕を振り払おうとする。
離すまいとして、掴んだ手に思わず力が入った。
「痛っ!」
「怒ってんのか。」
視線は逃げたまま戻らない。
「怒ってなんか・・・・」
情けないだけ。判っていた筈だ、今彼が求めたのは失ったものの身代わりとしての自分だと。
なのに、結局耐えられないくせに、力になりたいなんて思った自分がみっともなくて。
逃げ出したい一心だった。
力任せに手を振り解いて背を向けた次の瞬間。
がくんと引き止められ前へ進めなくなった。
後ろから抱き竦められて身動きがとれない。
「ちょっ、ちょっと!離して・・・・・・」
焦って藻掻いた。いつもの森なら、こんな体勢の次はからかうように身体を撫で回し、真っ赤になって慌てふためく岩永を面白がって───。
「あ・・の・・・・・?」
包み込むようにまわされた腕は動かず、ただほんの少し力が込められただけだった。
何だか勝手が違って、無下に振り解く事も出来ない。
されるまま抱き締められていると、かえって恥ずかしくて動悸が跳ね上がる。
鼓動が早まってるの、絶対バレてる。そう思うと余計に。

何も出来ず、何も言えないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


「・・・悪かったな。」
「え?」
「悪かったよ。」
岩永は振り返ろうとしたが、肩口に埋まったその表情を見ることは出来なかった。
「いえ・・・」
それでも沈黙が途切れたことに少しほっとした。
と同時に、ここが冷たい廊下だと改めて思い出す。もう、こんな所に長い時間居ていい季節じゃない。

「あの・・・もう休まれたら・・・・・・」
背中に感じる暖かさは、そのまま夜の冷え込みを物語っている。
「もうちょっとこのまんま・・・・・」
「・・・僕、もう逃げませんから。」
気持ちに嘘はなかった。
「いてくれるか?」
言葉にするのは恥ずかしかったけど。
「分かりました。だから・・・・お願いですから、もう休んで下さい。」
「そっか・・・」
ふっと腕が緩んだ。
「やっぱりベッドの方がいいよな。」
「へ?」
突然変わった口調に一瞬戸惑った岩永の身体が、ふわりと宙に浮いた。
軽々と抱き抱えた森が立ち上がる。
「え?!ちょっ・・・」
面食らってろくな抵抗も出来ないうちに、硬直した身体は広いベッドの上にどっかと降ろされた。
更に逃げる猶予もなく両足を抱き込まれ、岩永の脚は森の枕と化す。
「なっ何してるんですか?」
「見りゃ分かるだろ、膝枕♪」
「だ、だから何で?!」
「いいだろ、このくらい。今夜は傍にいてくれるってんなら。」
悪戯っぽく片目を瞑ると、再び頭を降ろした。
「ええ〜っ?!」
さっきまでのしおらしい態度は何だったんだぁ?!
「おやすみぃ。」
「森先生ーっ!!」
抗議など何処吹く風とばかりに、森は早々と寝息をたて始める。見下ろす岩永はただ長い溜息をつくしかなかった。


呆れ顔の岩永も、ヘッドボードに背を預けてやがて眠りに落ちた。
意外に幼く見えるその寝顔は、やはり思い出の中に重ねるほどによく似ていて。
森はそっと頭をずらして見上げた。
──なぁ、こいつが俺が惚れた奴だよ。
お前をこいつに見立てるのが嫌で、お前に淋しい思いをさせたのかも知れねぇな。
さっきみたいに抱き締めて、眠るまで傍にいてやる。多分、ただそれだけで良かったのに。

お前のことを忘れない、ずっと・・・・・・それで許してくれよ。


再び閉じた目の奥で、少年は無邪気な笑みを返してくれた。


* * * * *


突然、朝の陽射しが瞼の上に降り注ぐのを感じた。
目を開けると、カーテンを全開にした窓から昨日と同じ青い空が見える。
いつからそうしていたのか、ベッドの縁に腰掛ける森に気付いた。
「そろそろ起きるか。」
眩しさに目を瞬かせる岩永にそう言う森は、妙に意味ありげに笑いかけた。
「ちょっと立ってみろよ。」
「・・・え?」意図が解らず、岩永はひとまずベッドを降りようとした。
ヘッドボードに凭れた姿勢のまま眠ってしまった所為で、背中が少し痛い。が、それよりも問題だったは・・・・
「あいたっ!」
降ろした脚の感覚がなくて、床に転げ落ちた。
「なに?何で??────っっ!」
言ってるうちに今度は急激に血の流れが戻った所為で、痛いくらいにじんじんする痺れが脚全体を襲う。
「何でって、そりゃあ・・・」
森は愉快そうに笑いながら手を伸ばした。
「一晩中、膝枕やってりゃ脚も痺れるわな。」
「あーっもう!触らないで!・・・痛っ!!」
まったく、誰の所為で!
からかうように脚を触ろうとする森の手を慌てて払い除けた。
途端に、強い痺れが走ってベッドに縋り付く。
森はその身体をすくい上げるように抱えて、ベッドの上に戻した。
「ま、立てるようになったら来いよ。朝メシ作っといてやるから。」
寝室を出ようとドアを開けて、立ち止まる。
痛いのと恥ずかしいのとで下を向いていた岩永が顔を上げると
「悪かったよ。その・・・・・・ありがと、な。」
照れくさそうな横顔を隠すように、ぱたんとドアが閉まった。

残された岩永はただ黙ってドアを見つめていた。
どうやらいつもの彼に戻ってくれた。それだけで満足だったから。



やたら長くてすいません。岩永先生がヲトメ過ぎてすいません。
なんかいろいろとすいませんが、一番のすいませんは
こんなマニアックな話に付き合わせた事ですか。(苦笑)


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