「ねぇ、あなたドクターでしょ？」
ブロークンだが、かなり使い慣れた英語。利発そうな瞳が見上げる。
細身で小柄な少年のにっこり笑った顔があいつにちょっと似てるかな、と思った。
「そうだけど。何だい？」
「僕雇ってくれない？何でも手伝うよ。」

子供ってやつはどこの国でも好奇心旺盛だが、内気なお国柄も手伝ってか、こんな田舎では恥ずかしがって遠巻きに見ている子が殆んどだ。
物怖じしない人懐っこそうな態度は、森も好感を持ったが。
「悪りぃな。子供は雇えないよ。」
「えーっ、子供じゃないよ。」
「年いくつだよ。１２か、１３か？」
「もうすぐ１７だよ！」
まだ充分子供じゃねぇか。
膨れっ面で睨み上げる顔がまたちょっとあいつを思い出させて、つい笑いが零れた。
「そっか。そりゃ悪かった。だけどどのみち診療所のスタッフは俺が勝手には雇えないからなぁ。」
「そう・・・だめかぁ。」
ちらりと落胆の色を見せたが、切り替えは早いようだ。
「じゃあさ、ドクターが雇ってよ。何でもするよ、身の回りの事とか。」
「おいおい、そんな大層な身分じゃねぇよ。」
「だめぇ？」
ちょっと不思議だった。頭は良さそうだし、これだけ英語が喋れれば他にもっと実入りの良い仕事を見つけられそうなものだが。
「何でそんなにここがいいんだ？」
「・・・・・・ドクターが気に入ったから。」
「はん？」

診療所開設の準備はすぐに整った。
もっとも、簡単なものしか置いてないのだから準備もへったくれもない。
取り敢えず医者と薬が揃えば、そこが病院だ。
──まぁったく、人使い荒いよな。
暑さと慣れない湿度に汗が滲んで、ついぼやきたくもなる。
いくら急な交替の空白を埋める為だとか、短期だからだとかいっても、俺みたいな引退したロートルまで引っ張り出すんだからなぁ。
ま、引き受けちまう俺も俺か。病院の皆にはまた迷惑かけちまったし、あいつもやっぱり心配そうな顔してたけど。そういえば・・・。
現地採用のスタッフにさっきの少年のことを訊いてみた。
「あぁ、確か近所の村に住んでる子ですよ。」
頭の良い子で、この辺では珍しく字も書けるので、外国人相手などに重宝されたりして何かしら仕事を得ているらしい。
「ふ〜ん。」
ならば、なぜ町へ出て稼がないのか。目端の利く若者は大抵そうしたがる。
（ま、事情ってもんがあるんだろ・・・）
それ以上深くは聞かなかった。

森を気に入ったという言葉は本当らしかった。
その少年、トイは毎日のように診療所に来て森に付いて回った。現地スタッフの青年ともすぐに打ち解け、一緒に薬や器具を並べ、シーツを洗う。そして、忙しさにかまけて時折食事を抜く森に簡単な料理を作って運んだ。
森としても、正直悪い気はしない。気が利いてよく働くし、愛嬌もある。何より、誰かさんによく似た顔が無邪気に懐いてくるのだから可愛いもんだ。
つい目で追って口元が緩む。
だが、暮らし向きは大丈夫なのか。メシを食わすくらいならしてやれるが。
「お前、そんな事しても給料払えないぞ。」
「いいよ、気にしなくて。大丈夫だから。」
そう言って笑うと、くるくるとよく動く瞳でもう次の仕事を探していた。

「ドクター、これ要らないんだよね。貰うよ。」
目端が利くのも間違いないようで、捨てるはずのガラス瓶や缶を目敏く見つけると、貯めておいて近隣の子供達に手渡す。
「あれ、売れるんだろ。どうして自分で売りに行かないんだ？」
いつも他人にやるばかりで、かといって分け前を貰っている様子でもないのを、森は不思議に思っていた。
「だってあいつらは家族が多いからね。家族の分も稼がなきゃ。」
「お前は？・・・その、親とか家族とか・・・」
「いないよ。妹もいたけど、みんな死んじゃったから。」
今まで気兼ねして訊かなかった森が拍子抜けするくらい、事も無げにトイは話しだした。
「もうず〜っと前の話だよ。乗り合いトラックに乗ってて地雷踏んじゃってさ。家族で助かったの、僕一人だった。」
諦観したような笑みさえ見せて、森の顔を見上げる。
「運が悪かったよね、対人じゃなくてでっかいヤツだったみたい。」
内戦なんかとっくに終わっているというのに。
あっけらかんとした口調は、こういった事がここではまだ珍しくないのだと教えていた。
「だからさ、僕は自分が食べてく分だけ稼げればいいんだ。」
「じゃ、何で町に出ないんだ？」
森は前々から抱いていた疑問を口にしてみた。
「こんな田舎より稼ぎやすいだろうに。」
「だって、僕がここにいなくちゃ・・・」
言いかけて、取り消すように言葉を変えた。
「町は嫌いなんだ。いろいろ騒々しいしさ。ここの方が好きなんだよ。言ったでしょ、別に無理して稼ぐ必要ないって。」
詮索を拒否するような口調に、森は従わざるを得なかった。

その日、午後の風が止んだ。

温い空気が身体にまとわりついて南国特有の気怠さを誘う。
外来者が途絶えた気の弛みもあったかも知れない。森はいつの間にか心地良い微睡みに引き込まれていた。
と、肩を揺らして誰かが起こそうとする。
寝惚け眼で薄っすら瞼を開けると、見慣れた穏やかな笑顔が見下ろしてる。
「悪りぃ・・・もうちょい寝かせてくれよ・・・」
細い首に腕を回して引き寄せた。そのまま何か言おうとした唇を塞ぐ。
受け入れるように薄く開いた唇が、森の舌を迎え柔らかく答えを返してきた。
──なぁんだ。やっとその気になってくれたんだな・・・
「ん・・・？いわ・な・・・・・・！？」
不意に我に返って目が覚めた。あいつがいる筈ない。だってここは・・・。
目の前にトイの顔があった。
驚く様子も照れる素振りもなく、森を覗き込んで悪戯っぽく笑っている。
「いい夢見てたみたいだね。」
「・・・・・・あぁ、惜しいとこだったよ。」
森はバツが悪そうにソファから身を起こして、頭を掻いた。
「居眠りなんて珍しいね、ドクター。」
くすくす笑いながらキッチンへ向かうトイを目で追いながら、さっきのキスの感触を思い出して溜息をついた。

（よく分からんやつだな。まったく・・・）

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